昭和四十七年(一九七二)四月一日、浜松市消防本部は工業団地の建設や住宅団地化が進む駅南地区の火災に対処するため市内では三番目の消防署、南部消防署を森田町に新設した。また、同日浜松市は広域消防行政で浜名郡雄踏町・舞阪町・可美村の二町一村の消防事務を受託した。そのため南部消防署篠原派出所(馬郡町)の増改築が行われ、同所の管轄は篠原・新津・入野地区と可美村の一部、舞阪、雄踏両町となった。その後、昭和五十年四月には可美派出所が増楽(ぞうら)に新設された。その間同四十五年中消防署の萩丘派出所が移転改築され三方原派出所(葵東二丁目)と改称、翌年中消防署に高台派出所(住吉三丁目)が新設された。
昭和五十二年四月東部消防署は、相生町から篠ケ瀬町の旧和田派出所隣へ新築移転した。移転の理由は、市東部の人口増加に対処するには庁舎が手狭で、道路も狭く不便になったからである。翌五十三年東部消防署の長上派出所が市野町に新設された。長上地区は、東名浜松インター開設に伴い、住宅や商店・中小工場が進出し人口急増地帯となっていた。同五十六年四月南部消防署に白脇派出所が白羽町に新設された。同所の管轄は旧白脇村の楊子・三島・瓜内等九町であった。市南部の白脇地区はこれまで常駐消防の空白地帯であった(『静岡新聞』昭和五十五年二月二十九日、同五十六年二月十五日付、『消防年報』)。
昭和五十八年四月南部消防署の雄踏派出所が雄踏町宇布見に新設された。その管轄は浜名郡雄踏町を中心に志都呂町・西鴨江町・村櫛町・舘山寺町から浜名郡舞阪町方面で、浜名湖に近いこともあり水難に対する救助艇も常設された(『静岡新聞』昭和五十八年三月二十三日付、『消防年報』)。同六十二年中消防署の富塚派出所が富塚町に新設された。富塚地区は市内西方に広がる住宅地区の中でも、今後さらに宅地開発が続けられ、人口の急増が見込まれる地域であった(『静岡新聞』昭和六十二年一月十四日付、『消防年報』)。図3―12は同六十二年の消防管轄区域及び消防機関配置図で、三消防署の管轄区域・各派出所の所在地、各消防団等が図示されている。
図3-12 消防管轄区域及び消防機関配置図