[東海地震の可能性と想定被害]

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【東海地震 大規模地震対策特別措置法】
 昭和五十一年(一九七六)八月東京大学石橋克彦助手は、駿河湾奥から御前崎沖一帯を震源とするマグニチュード8クラスの大地震が起こると発表し、人々に衝撃を与えた。同年十一月国の地震予知連絡会は、大地震もあり得るが十~二十年以内の可能性とし、その名称を東海地震と呼ぶこととした。石橋助手は従来漠然と遠州灘一帯とされた震源域を特定、これが発生すると静岡県は大きな被害を被るとされた。県はすぐに対策を立て、国へ働き掛けを行った。それを受けて、国は昭和五十三年六月大規模地震対策特別措置法を公布し、翌五十四年八月県下全域(七十五市町村)が同法に基づく地震防災対策強化地域に指定された。地震防災対策強化地域(危険地域)に指定されたのは震度6(烈震)以上の地震が発生し、木造建築物に著しい被害が出る恐れのある市町村や、震度6には達しないがこれらの市町村に隣接し、山崩れなどで著しい被害が予想される市町村であった。この地域の国鉄などの公共機関、県下七十五市町村等は、国の地震防災基本計画に基づき地震防災計画を立てることが義務付けられた(『静岡県史』通史編6、『静岡新聞』昭和五十四年五月十二日、同年八月七日付)。
 
【『浜松市地域防災計画』東海地震対策編】
 昭和五十四年二月浜松市は、大規模地震対策特別措置法と五十三年十一月静岡県が出した東海地震の危険度試算を踏まえて、市の地域防災計画の中に「東海地震対策編」を作成することを決めた。これは近い将来予想される東海地震での被害想定を考慮し、具体的な対策計画を立てたものである。県作成の危険度試算では、地震による浜松市内の全壊は約二千四百戸、半壊は約七千四百戸、火災による焼失(春・秋の昼食時、東北東の風五メートル)は約八千戸、死者は三百八十四名、重軽傷者は約四千百名、被災世帯は約一万八千戸を想定していた。しかし、同年五月の市の試算(火災のみ)では前述の条件下では県の想定の二倍の一万六千戸に上ることが判明、条件を西北西の風八メートルに変えると二万戸が焼失するとしている。こうした調査・検討等を加え、翌五十五年三月市は初めて『浜松市地域防災計画』東海地震対策編をまとめたが、これには危険度の試算と地震への対策、防災訓練、救援活動など市や市民などが取り組むべき多くの対策が盛り込まれていた。このうち、危険度の試算では、全壊約二千六百戸、半壊約八千戸、焼失世帯(東北東の風五メートル)約二万一千戸、死者三百八十四名、重軽傷者約四千百名などとしたが、これらの被害は今後の適切かつ効果的な地震対策や市民の防災への自助努力で大幅に減少できると記し、様々な対策や訓練を行うこととした(『新編史料編六』 二自衛隊 史料43)。