[防災思想の普及と自主防災隊]

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【「地震のてびき」】
 学者の間で大地震が遠州灘沖で発生する可能性があるという観測がなされたことから昭和四十九年二月に東海地方が地震の観測強化地域に指定された。そのすぐ後の五月に伊豆半島沖地震が発生したことから浜松市は市民の地震に対する知識と防災対応の意識を高めようと昭和五十一年一月に「地震のてびき」を作成した。この頃、浜松市には三つの消防署と十二の派出所、三十七の消防団、八つの水防団、市職員による二十四の地区防災組織(班)―公共的な防災組織―があったが、これだけでは防災や救難活動にも限界があった。そこで、この冊子発行を機に地域住民に自主防災組織の結成を呼び掛けた。
 
【自主防災組織】
 昭和五十年十月三十日、笠井町の第七・第八自治会が一緒になって初めての自主防災組織を結成した。同地区では笠井排水路が毎年大雨のたびにあふれ、同月の七・八日の豪雨の際にも四十二戸が床上浸水の被害にあっていたので、住民の協力体制を確立して万一の事態に対処することを申し合わせた。この組織は住民六十人、避難誘導、初期消火、給食給水、情報交換、衛生の五班に分かれ、相互に連絡を取り合って初動態勢に当たることにした。そして、関東大震災や防災関係の映画会・講演会等を開き、日頃から地震防災に対する関心を高めていくとした。
 
【自主防災隊】
 これ以降、市内各地でこうした自主防災組織結成の機運が盛り上がり、白洲や和田の自治会のほか、同五十一年九月には住吉自治会防災自警隊が発足した。翌十月、市自治会連合会では自主防災隊の規約を検討し、全市に結成を呼び掛けた。そして、同年十一月十四日には自主防災隊として初めて防災訓練が住吉地区(会場は浜松城北工業高校)で行われた(『静岡新聞』昭和五十一年十一月十五日付)。翌五十二年七月一日現在自主防災組織(隊)の結成率は三百八十七自治会に対し九十四%に達した。総括部・消火部・避難誘導部・救護部・物資部の五つに分かれ、災害の防止・救護の要として任務を分担し、合理的な活動が出来るように組織されている。