昭和五十三年(一九七八)に制定された大規模地震対策特別措置法に基づき防災の日やその前後に、東海地震を想定した大掛かりな総合防災訓練が行われるようになった。第一回は翌年十一月十六日に実施され、第三回は同五十六年九月一日に実施された。この日は地震防災対策強化地域に指定された静岡など六県のほか、大きな被害が予想される東京など四都県も参加、避難・救助訓練など静岡県の二百十万人を含め実動人員は約千二百万人という空前の規模の訓練となった。浜松市は同日だけでなく、八月三十日や九月六日の日曜日を利用して行う団体も多く参加者は四百六十三団体十七万八千五百人に上り、震災の訓練としては前例のない規模となった。訓練のモデル会場は市内三つの小学校で、地元地区の自主防災隊が中心となり、初期消火・救護・給水等の訓練、市役所では警戒宣言発令に合わせて各種情報の入手・伝達訓練が行われた(『静岡新聞』昭和五十六年八月二十七日、昭和五十六年九月一日・二日付)。
【総合地震防災訓練】
市は昭和五十八年度から総合地震防災訓練の方法をメーン会場集中型から自主防災隊主導型に切り替えた。市対策本部は、デモンストレーションも必要だが、地震対策の基盤は結局は家庭・地域と考えたのである。
【地域防災無線システム】
昭和六十三年十月、浜松市は静岡県が進める新しい地域防災無線システムの導入を決めた。このシステム導入は東海地方では初めてであった。地域防災無線は、市役所の基地局を中心に消防や警察などの防災関係機関と学校・病院・公民館・鉄道施設など生活関連機関百八十二カ所と相互に通信できるシステムである。交信エリアも拡大し、庄内半島や都田地区など難聴地域も解消された。これにより災害時の情報収集・伝達は容易となった。この導入費用は一億七千二百七十万円であった。平成元年(一九八九)三月三十日基地局のある市役所で開局式が行われた。市は同年九月一日防災の日にそのシステムをフル稼働して訓練を行ったが、従来の行政無線に比べ情報伝達時間が半減するほど大きな威力を発揮した。
図3-14 総合地震防災訓練