[都市型水害の予防と対策]

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【都市型水害】
 浜松市でも都市型水害と呼ばれる浸水災害が発生するようになった。昔は問題にならなかった都市の中小河川が氾濫するようになったからである。その原因はかつて畑や田んぼだった所に家や道路が出来て、降った雨が一挙に川や排水路へ流れ込み、その水を支え切れない中小河川が洪水を引き起こすようになったのである。
 
【浜松市総合排水対策本部】
 市では、こうした都市型水害による浸水被害の解消を重点課題として、それぞれの地域で都市下水路の整備、下水道の拡充、河川や排水路の改修などを実施した。さらに昭和五十六年(一九八一)急激な都市化に対応するために、市全体の排水対策を総合的に推進する浜松市総合排水対策本部を設置して、水害の発生している江東地区、鴨江排水路流域、高台地区、中ノ町地区、大塚地区、中央地区等十七地区の排水対策調査を実施し、それぞれの排水不良地区の現状把握と原因の分析や有効な対策を講ずる手立てを探った。
 
【木戸ポンプ場】
 この調査によれば、江東地区の木戸・佐藤・中島・向宿・領家の各町を中心とした約百十ヘクタールもの地区で浸水の傾向が見られたという。その原因は、地区内の東部・茄子などの排水路の幅が狭小なことと、その放流先の馬込川の水位が上昇した時、排水路の水位より上になってしまい、自然放流が不可能なことであった。そこで、木戸にポンプ場をつくり、東部・茄子排水路の水を途中でカットしてポンプで馬込川に強制排水することにした。ポンプ場は昭和六十年に着工、同六十二年二月二十日に通水式が行われた。これにより江東地区の浸水はかなり軽減された。
 
【浜松型簡易雨水浸透井 ノンブーツ作戦】
 北地区や駅南地区は下水道が布設されていたが、当初見込んだ都市化の状況が急激に変化し、下水管へ流れ込む雨水量が増えて下水管が収容し切れなくなった。ここでは昭和五十七年度から浜松型簡易雨水浸透井を用いた方法―ニックネームをノンブーツ作戦(長靴がなくても歩ける町づくり)―を用いた。これは浜松の地質が水を浸透させやすいことに注目し、降った雨を地下に浸透させる方法であった。
 昭和六十一年から鴨江排水路、堀留川沿岸住宅地の水害を防止するため、鴨江小学校グラウンド(周りに深さ三十センチメートルまでの水を貯められる外壁)を利用した雨水貯留施設の建設に着手した。豪雨の時、校庭を溜め池にして一時雨水を貯留し、放水量を調節しようとしたのであった。同六十二年二月までには同小と西部中学校で工事が完了した。