昭和二十年代の終わり頃から鉄筋コンクリートの校舎が建設されてきたが、その校舎はほとんどがいわゆるマッチ箱のようで、画一化された建物であった。昭和二十年代に市役所建築課の技師で学校や図書館の設計を担当していた栗原勝が市長に就任したのは昭和五十四年五月一日、これ以降これまでの学校建築が大きく変わり始めた。同五十五年九月から滝沢小学校の新校舎の建設が始まったが、それはこれまで見たこともないユニークなデザインの学校であった(図3―15)。栗原市長のお声掛かりで設計は市役所の職員が担当、地域の特性を考慮し、滝沢の恵まれた自然環境にマッチした形、色、素材などを考えて建てたもので、最大の特色は集会室や食堂を兼ねたコミュニティーセンターがつくられたことであった。ここは住民の触れ合いの場ともなった。また、これまでは無かったオープンスペースのグループ学習室が三つも出来た。落成式の模様を報じた『静岡新聞』記事のトップ見出しは「山里にモダンな新校舎」と記されていた。以後、都田南小学校(昭和五十七年)、葵西小学校(同五十九年)、三方原中学校(同五十九年)、東陽中学校(同六十年)、富塚中学校(同六十二年)など多くの学校で、これまでにない形、色、構造の校舎ができ、子供たちや教師を喜ばせ、学校は地域住民の誇りともなった。
図3-15 ユニークなデザインの滝沢小学校