【『遠州の子ども』 『浜名』 文集『はままつ』】
曳馬尋常高等小学校では大正期から太平洋戦争が始まる昭和十六年まで文集の『夕やけ』をガリ版印刷で発行、追分尋常小学校では昭和初期から昭和十年代半ばまで活版印刷で文集の『追分の友』を、白脇尋常高等小学校でも大正期から昭和初期まで子供たちの作文、童謡、和歌などを載せた雑誌を発行していた。戦後の文集発行で早かったのは浜名郡の小学校の『遠州の子ども』で、なんと昭和二十三年八月、初めは全学年で一冊であったが、同年の十月からは低学年用と高学年用の二冊とし、毎月発行という驚くべきものであった。昭和二十四年十一月一日発行の『遠州の子ども』(四・五・六年)は文化の日記念号で、古橋広之進選手のサイン入りの手紙から始まり、作文、童詩、俳句から習字や図画まで収録している。特に素晴らしいのは、特選になった児童の作文とともにその作文の見方、作者の紹介、作者のことばが掲載されていることである。また、童詩の分野でもほぼ同様な構成となっている。同郡の中学校の文集『浜名』は一年後の昭和二十四年の発刊であった。浜松市の小中学校の文集は発行が大変遅れ、創刊号が発行されたのは昭和三十六年度であった。創刊に当たって浜松市教育長の皆川英夫は「―正直にかかれた作文。きちんとむだのない作文。かいた人の気持ちがそのまま読む人にわかる作文。―そして、正直な、うつくしいことばは、うつくしい日本を作ります。」と巻頭言(5、6年)に記している。文集『はままつ』の創刊号は小学校が一・二年で一冊、三・四年で一冊、五・六年で一冊の計三冊、中学校は全学年を通して一冊であった。以後、翌年から年間二回の発行(昭和四十年以降は一回)にしたり、小学校一年生用は発行の時期を遅らせるなどの工夫をして現在に続いている。児童・生徒の作文、詩歌、創作などの優れた作品が数多く掲載され、子供たちにとっては国語の良い副読本ともなっている。