教育機器

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【OHP VTR】
 昭和四十年代の中頃から多くの学校にOHP(オーバーヘッドプロジェクター)が入るようになった。このOHPほど短期間に全国の学校に普及した教育機器はほかにないと言っていいくらいのものである。昭和四十六年にはこのOHPの効果的な活用方法の研究が多くの学校で行われ、確かな効果が確認されたため、最初は学校で一、二台の保有から、その数を増して城北小学校では昭和四十九年と五十年で全学級に固定式のスクリーンが設置され、中ノ町小学校では昭和五十四年には全学級にOHPが入った。OHPのTP(トランスペアレンシー)は市販の良いものが多数販売されたが、教師自らもこれを制作した。また、授業過程をフローチャート化することが多くの学校で行われた。昭和四十年代半ばから六十年代初めにかけてはOHPが、同五十年代半ばからはVTRが加わり、この二つが教育機器の主流を占め、黒板とチョークのみの授業に風穴を開けたのである。後述の西遠総合教育センターでの教員研修の二つの柱は教育機器と理科の研修であった。OHPとVTRに比して比較的短期間でその役目を終えたものがアナライザーとシンクロファックスであった。二つとも昭和四十年代の中頃に入ったが、アナライザーはその準備と処理の大変さ、シンクロファックスは後にこれを上回る機器の登場によりしばらくしてその姿を消した。昭和五十年代の後半には一部でパソコンの導入が見られるようになるが、これは第四章で記したい。