【学校創立百周年式典 記念誌】
明治五年(一八七二)に学制が公布され、同六年に第一番小学浜松学校(今の元城小学校)などが、同七年には篠原、和地などの小学校が設置された。それらの学校は昭和四十八年から翌年にかけて創立百周年の記念すべき年になるため、多くの小学校で学校・PTA・地域が一体となって学校創立百周年式典とそれに合わせた記念事業が行われた。河輪小学校は昭和四十六年から百周年記念事業について話し合いを持ち、二百五十万円の予算でもって山と総合遊具の建設や記念誌の刊行などに取り組み、河輪小学校の前身にあたる芋瀬学校が創立された明治六年八月二十七日からちょうど百年目に当たる昭和四十八年八月二十七日に式典を行い、記念誌『百年のあゆみ』を発行した。浜松では最も早い式典と記念誌の発行で、他校に良い模範を示した。元城小学校も百周年に当たる昭和四十八年に記念式典や記念行事を盛大に開催、また、記念冊子『もとしろ』を刊行した。入野小学校も同年に式典、記念誌『さなる百年』を刊行、これにはなんと明治三十四年の卒業写真が掲載された。都田小学校では昭和四十八年九月二十二日に式典を開催、講演会や文化展、小鳥小屋の建設のほか、記念誌を刊行した。百周年記念誌の書名は『清流』、明治期の入校願や生徒心得、卒業証書、教科書、卒業生の思い出の文などが掲載された。
【タイムカプセル】
この後、昭和五十一年までに和田・富塚・和地・中ノ町・神久呂・伊佐見・三方原の各校で式典の開催と記念誌が刊行され、記念事業としては記念碑の建設、ピアノの贈呈、タイムカプセルの埋設(富塚小学校のタイムカプセルの発掘は西暦二千七十四年)など様々なことが行われた。なお、村櫛・南圧内・北庄内などの小学校は創立年代を明治初年とせず、明治二十二年の尋常小学校の発足時と捉えたため、記念式典や記念誌の刊行は昭和五十九年から平成になってから行われた。