新しい科 コース分け

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【共通一次試験】
 産業、経済の急速な発展と情報化、国際化時代の到来、また、大学への進学率の向上などはこれまでの高校にも様々な改革を求め始めた。浜松工業高校は昭和四十八年度に情報技術科を、同年に浜松商業高校は事務管理科を情報処理科とし、それぞれ情報化社会に対応できる態勢を整えた。また、工業の技術革新に備え、同六十二年度には浜松城北工業高校に電子機械科が設置された。浜松女子商業高校では同六十一年度から商業科を三つのコースに分けてより専門的な授業を行うようになった。普通科の多くの学校ではこれまで一年時は全員が同じ普通コースで、二年時からは文系・理系のコース(一部は就職コースも)に分け、生徒ひとりひとりに合わせた授業形態をとっていたが、この時期から大学への進学が有利になるように特別なコースや新たな科を設置した。昭和四十八年度から海の星高校では英語コースをつくり、以前から進めていたイギリスへの留学生の派遣をフランスにも拡大、同時に海外への研修制度もつくって外国語習得の便を図った。聖隷学園高校は昭和四十八年度から普通科への移行を始め、同五十五年度にコース制に、そして五十七年度からは入学時からコース分けを行った。昭和五十六年度には興誠高校が全寮制の文理特進コースを、同年浜松日体高校でも理数コースをつくった。これらは大学進学のために三年間を一貫教育しようというもので、興誠高校の場合は全寮制のため、夜間講座も設け徹底的に大学受験用の学習を行うことになった。これは私学ならではのシステムであった。西遠女子学園高校は昭和五十七年度から中学校、高等学校の完全一貫教育を始め、同六十二年度からは六カ年を三つのブロックに分け、一・二年次を初級に、三・四年次を中級に、五・六年次を上級とし、上級では就職・文系・理系・国公立系のコース制をとった。誠心高校では昭和六十三年度から特進コースを設置した。公立では浜松西高校が同六十一年度に国、社、保体、芸術科などの授業を減らし、理科と数学の履修を多くする理数科を設置し、この方面への大学進学を目的とする教育を開始した。これら普通高校における新しい動きは昭和五十四年一月に始まった国公立大学においての共通一次試験という戦後最大の入試改革前後から始まった。これまでの一期校、二期校の制度が廃止され、五教科七科目の基礎的な学力を見る共通テストと各大学・学部での二次試験の二本立てとなった。この共通一次試験は教科が多過ぎたことと、受験校が一つに絞られたため、以後多くの受験生が私立大学に流れるなどの現象が起き、同六十二年には五教科五科目に、また、全国国公立大学をA日程とB日程に分けて複数受験への道を開いた。浜松の普通高校においては昭和五十年代から大学入試に向けて様々な取り組みが行われたが、あまりにも進学中心となり、高校の予備校化を心配する声も出始めた。
 この時期には多くの高校で校内に合宿や修養、会議などのほか、同窓生も使える生活館(寮)の建設が進んだ。また、卓球場・格技場(柔道、弓道など)などの専門的な体育館、新しい部室などの建設が進み、校舎の耐震化工事、基地周辺の高校では防音工事などが行われた。また、昭和二十年代後半から三十年代の初めに建設された浜松北高校の校舎は老朽化が進んだため、平成元年に全く新しい校舎に建て替えられた。これ以降、多くの高校では最新の校舎に建て替えられることになる。