【大学院電子科学研究科】
昭和四十七年は浜松高等工業学校の創立五十周年に当たり、浜松工業会(卒業生の同窓会)は記念事業を計画、その一つに工学部図書館の建設があった。国の予算と合わせて新しい静岡大学附属図書館浜松分館が同年四月に開館した。正門から少し入った通路沿いに造られ、構内の中心部で利用しやすかった。ただ、時代の進展により建物面積の不足が深刻となり、同五十八年には増築されることになった。昭和四十年代から五十年代にかけては電子工学、情報工学の分野で急激な発展が見られ、地元企業からこの分野の専門的な技術者を求める声が挙がった。これを受けて、昭和四十八年には工業短期大学部にも情報工学科を設置、同五十五年には電子工学科と電子工学研究所の研究棟が完成、また同五十一年には静岡大学では初めての博士課程である大学院電子科学研究科が設置された。新制大学で博士課程がこの年初めて設置されたのはこの静岡大学とお茶の水女子大学のみであった。当初の教官定員は電子工学研究所十六名、工学部二十八名、浜松医科大学四名で、これに対し学生の定員は十七名であった。『静岡大学の五十年』にこの電子科学研究科設置の目的として「…電子が関与する深遠かつ広範囲な電子科学の分野に関して高度な教育と研究を行い、研究領域の拡充、深化ならびに学際領域における高度な研究の発展向上を担う研究者の育成及び将来の課題に対処しうる人材の育成」と記されている。科の設立に当たって努力されたのは桜場周吉、鴨川寿、西田亮三など、また、浜松医大との連携も特色の一つであったが、これは浜松地域テクノポリスにおける学術研究機関の一つとして重要な役割を果たしていくことになる。
科学技術の進展は急速となり、より専門的な研究が求められるようになった。これを受けて、工学部はすべての学科の改組に取り組み、昭和五十九年には電気工学科と電気工学第二学科を改組して光電機械工学科と電気工学科とし、以後、機械系や化学系などすべての分野で数年間にわたって改組が行われ、時代の要請に対応できる工学部になっていった。