【静岡女子短期大学】
静岡女子短期大学は昭和五十年四月に第一看護学科(三年制、三十人)と第二看護学科(二年制、三十人)を新設した。浜松医大の開学とその教育関連病院の充実のための看護婦不足、また、医学の目覚ましい進歩に対応できる優れた看護婦の養成を目指したものであった。この頃、同短大には講堂や体育館がなく、体育の授業や儀式の開催に難儀していた。これを打開すべく、講堂を兼ねた体育館が昭和五十年に完成、また、新しい図書館は同五十三年に完成した。その図書館は翌年から市民に開放、静岡女子短大は「開かれた大学」を目指しており、既に同四十九年から一般市民に向けての公開講座を開設していた。この講座は三人の教官がそれぞれ三回、計九回にわたり文学、婦人、情報、食品、ことばなどの講義を行い、昭和五十八年以降は佐久間・水窪などへの出張講座も持つようになった。
【静岡県立大学短期大学部】
昭和五十七年になると、県立三大学(静岡薬科大学・静岡女子大学・静岡女子短期大学)の見直し・再編の動きが起こり、様々な議論の末にこの三大学を改組、統合して静岡県立大学とすることが決まった。そして、浜松にあった静岡女子短期大学は昭和六十二年四月に静岡県立大学短期大学部となり、文化教養学科、食物栄養学科、第一看護学科、第二看護学科が置かれた。