[義務化された養護学校と盲・聾教育]

518 ~ 519 / 1229ページ
【西部養護学校 浜松養護学校】
 長年の課題であった養護学校の義務化は昭和五十四年四月一日に始まった。静岡県立西部養護学校では義務化と同時に在宅の児童に対する訪問教育が開始された。この児童たちの多くは障害の程度が重く、また、重複化していることもあってその指導には多くの困難が伴った。体育館の新築や教室の増築に続き、待望の高等部が設置されたのは昭和五十八年四月、以後、小・中・高の一貫教育が実現し、また、多くの施設の建設が進んだ。西部養護学校は主に肢体不自由児の養護教育を担当したが、静岡県立浜松養護学校は精神薄弱児のための学校として、養護学校の義務化に先立つ昭和五十三年四月江之島町に開校した。翌年の義務化に伴い、西部養護学校と同じく訪問教育が開始された。中学部では作業学習の基礎的な能力を養い、昭和五十六年に開設された高等部では社会の一員として活躍できるよう木工や縫製、陶芸などの班が設けられた。
 
【浜松盲学校 浜松聾学校】
 浜松盲学校は第二章のように昭和四十八年に静岡・沼津の盲学校の高等部を統合、同年に二年制の幼稚部を設置した。これまで通り小学部は六年、中学部は三年、そして高等部(三年制)には普通科・保健理療科・家政科・音楽科が置かれ、その上に専攻科理療科(三カ年)があった。ここを終えるとあんま師・はり師・灸師の受験資格が取得できた。学校には後に、プール、体育館なども出来た。浜松聾学校は昭和四十八年に高等部が沼津聾学校に統合され、幼稚部、小学部、中学部となった。聾学校の幼稚部は昭和三十年代から四十年代にかけて五歳学級、四歳学級、三歳学級がそれぞれ新設され、早期教育がなされていった。また、平成二年には静岡県中学校体育連盟に加盟し、国公私立の中学校との対抗試合(陸上競技など一部の種目)に出場するようになった。