【洋裁学院】
戦後の洋裁ブームにより市内には数多くの洋裁学院が誕生したが、高度経済成長期に入って既製品が豊富に出回るようになると、洋服は買う時代になっていった。この影響を受けて市内の洋裁学院は昭和五十年代後半から次第に減り始め、同じく編物学院も少なくなった。ただ、最大手の笹田文化服装専門学校はきもの学科とディスプレイ科を同五十三年に新設するなど多角化を目指し、さらに浜松市が進めていたファッション都市構想を踏まえて、同五十八年には笹田学園ファッション専門学校に校名を変更するなど、時代の変化に合わせて〝変身〟していった。ほかの洋裁学院もきもの科や手芸科を新設したり、別科・選科として話し方、書道、茶道、着付け教室などを設けるようになった。