[小中学校の運動場・体育館の開放]

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【体育館 運動場】
 昭和四十年代後半になり、生活に余裕が出てくると健康増進や老化防止、また、地域の人々との交流を目的にスポーツを行う人たちが増え始め、これまでの体育館や市営グラウンド、地域の運動公園だけでは施設の不足が目立ち始めた。浜松市はこれを解決するために、住民に最も身近な小中学校の体育館と運動場を学校の授業などに影響のない土曜日の午後、日曜日に開放することを決め、昭和四十六年十月から市内の相生小学校、船越小学校、西部中学校の三校をモデル校として指定した。この時点では土曜日の午後と日曜日で使用料は無料、利用対象は五人以上の団体であった。これが評判となってほかの小中学校でも開放してほしいとの声が出始め、同四十八年度から新たに東、北、蒲、浅間、与進、葵が丘の六校、計九校の体育施設を開放、同四十九年五月からは市内の全小学校と西部中学校の運動場を開放、七月からは県立の浜松東高校、同浜松南高校でも実施された。体育館では主にバレーボールが、運動場ではソフトボールなどが行われ、父親ソフト、ママさんバレーが盛んになった。同五十一年からは七十七校の運動場、四十四校の体育館を開放、運動場の夜間照明を十三校(うち簡易照明三校)で始めた。夜間照明は主にソフトボール、簡易照明はバレーボールで使用され、時間は午後六時から九時までであった。開放する学校は次第に増え、同五十二年度の全利用者数は八十五万七千二百九十五人に上った。ちなみに最も利用者が多かったのはスポーツが盛んな学区を持つ相生小学校で三万四百二十五人であった。