[西遠総合教育センターの開館]

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【浜松市教育会館 西遠総合教育センター】
 市内の教育関係者の研修や会議の場として、また、校長会などの事務局、学校生活協同組合などが入る建物として財団法人の浜松市教育会館が助信町に開館したのは昭和三十四年四月六日であった。ここは山葉寅楠ゆかりの建物と立派な庭が一部残っていた。その後、昭和五十一年に建て替えられたが、新しい教育に対応できる教育センターが求められるようになった。これは浜松市だけでなく、周辺の市町村の教育関係者も待望していた施設であった。これを受けて西遠地区広域市町村圏事業(浜松市・浜北市・湖西市・可美村・舞阪町・新居町・雄踏町・細江町・引佐町・三ヶ日町)の一環として教育関係施設の建設が協議され始めたのは昭和四十六年、そして今の佐鳴台三丁目に西遠総合教育センターとして開館したのは昭和四十九年四月一日であった。ここは教職員の専門的な研修の場として、主に視聴覚・理科関係の施設が充実していた。視聴覚室にはアナライザー、十六ミリ、ビデオデッキ、OHPなど最新の機器が備えられ、理科室には各種の実験器具や薬品が用意され、それぞれ専門の指導主事が配置されて管内の教職員の指導や相談に当たった。また、同センターの業務の一つに教育相談があり、二人の相談員が心身障害、登校拒否、帰国子女などの問題で相談に訪れる人たちにアドバイスをするようになった。教育機器は時代とともに移り変わり、昭和五十九年からパソコン研修が始まった。また、視聴覚(教育工学)と理科だけでなく国語や社会、数学などの専門研修も行われるようになった。さらに開館した年(昭和四十九年)の五月からは管内の教科書センターとしての業務を開始、小・中・高校で使用する各社の教科書を展示し、採択や教材研究などのために使われることになった。