勧化(かんげ)・教化の最たるものが開帳であろう。特に近世では盛んであった。昭和五十七年十二月十八日付記事で、両光寺(臨済宗方広寺派・富塚町)では市民に厄除け観音として知られた、木像の聖観世音菩薩立像(一木造り)を三十三年に一度、開帳してきた。昭和五十二年にこの立像が浜松市の文化財に指定されてから、市民の要望強く、同五十七年十二月十八日付記事で正月五日の臨時開帳が報じられ、昭和五十八年から毎年公開することになり(同五十九年一月六日付記事)、以後、毎年一月五日に開帳している。
教化活動は法話・講話・辻説法、人生を語る会などと様々な標題で、各宗派の寺院は積極的に当該寺院や市中に会場を設営して開催している。例えば、臨済宗方広寺派の方広寺では管長自身や方広寺青年会が半僧坊別院正福寺(高町)や浜松駅前のプレスタワー(旭町)などで開催している(同六十一年三月九日付、同六十二年五月十五日付、同六十三年四月十八日付、同六十三年六月二十三日付、平成元年三月十三日付記事)。蔵泉院(臨済宗方広寺派・西ケ崎町)は「人生を語る会」を同五十九年以来開催し、教派を超えて妙心寺派宝泰寺(静岡市)住職藤原東演師を招いたりしている(同五十九年五月十一日付記事、同五十九年七月十九日付記事)。
昭和五十五年十二月九日付記事では、浄土真宗親鸞会の仏教講演会受講者募集を報じている。翌十日の午後二回、浜松市民会館で行うというもので、受講無料。この親鸞会の仏教講演会は月に一回行われ、新聞記事では同五十六年八月五日付、同五十七年七月五日付記事に見えている。
浜松市内の禅宗寺院数は、可美村合併後の統計(『静岡県宗教法人名簿』平成六年三月、静岡県総務部学事課)によれば、臨済宗妙心寺派(二十)、臨済宗方広寺派(八十一)、曹洞宗(九十六)、黄檗宗(六)、合計二百三寺院が数えられ、禅宗の寺院が多い。これにより教化活動を伝える新聞記事には、座禅会に関するものが多く、内容も多彩である。
【座禅会】
昭和五十三年八月二十四日付記事や、同五十六年八月二十八日付記事では、瑞生寺(曹洞宗・東伊場一丁目)の「夏休みさよなら座禅会」が催されていると報じた。
昭和五十五年八月十九日付記事では、宿蘆寺(曹洞宗・庄内町)において、曹洞宗静岡県第四宗務所が主催して管轄下の県西部の寺院の檀家の子供を対象に、「規律正しい生活態度を身に着(付)け」ることを掲げた一泊二日の子ども禅の集いが実施され、座禅や座学も組み込まれており、今回で十五回目を迎えたと報じている。
昭和五十六年八月二十日付記事では、宗安寺(曹洞宗・市野町)において、八月十九日、曹洞宗第四宗務所主催「子供座禅のつどい」が開催されたことを報じている。これは「宗教心を養うことで団体生活のなかでの相互協力の精神を学」ぶことを標榜した一泊二日の合宿である。小学校四年生以上の児童百人が参加し、座禅や般若心経の写経、「血脈(けちみゃく)の儀式」も執行されたと報じている。
昭和六十三年八月二十八日付記事では、天林寺(曹洞宗・下池川町)において県内曹洞宗徒弟による駒澤大学静陵会主催の恒例行事、第三十一回静岡緑陰禅の集いがあり、八月二十七日に始まったことを報じている。市内高校生男女・社会人らが一泊二日の合宿である。正式な座禅、食事作法、読経、作務(さむ)など、禅寺生活を体験している。同六十三年十二月四日付記事、右の天林寺ではその保育園の子供たちの生活発表会が天林寺保育園で行われた。母親の前でクラス別に劇や合唱、また四、五歳児は般若心経を全員で誦したと報じている。
【浜松信行社 大野木吉兵衛】
他方、禅宗寺院ではないが、財団法人浜松信行社(助信町)においては念仏によって信仰心を確立させ、日常生活の倫理を深める実践活動では、座禅が組み込まれている。その座禅実習や講話を内容とする座談会開催の案内が昭和六十四年一月六日付記事に見えている。なお、報徳仕法が産業倫理に転換し、浜松の産業社会の基盤をつくった人々の思想と行動、とりわけ信行社とその創成者が果たした役割を明らかにしたのは大野木吉兵衛の一連の論究である(『浜松市史』四、一九六頁参照)。