市民が積極的に参加する宗教活動としては写経法要がある。宗派・年齢・性別を問わず行われるものであり、先の記事、「子ども禅の集い」では般若心経の写経がなされていた。昭和五十二年六月五日付記事によれば、法蔵寺(浄土宗・白羽(しろわ)町)において、浄土宗西遠組檀信徒会の人々が参加して写経法要が営まれた。僧侶二十人と檀家八十人余の参加があった。手本は「発願文」で、その写経は京都知恩院に奉納されるという。
地域や地区の住民との親睦を深める行事や施設の整備、音楽会開催が話題となっている。昭和五十五年十二月五日付記事では、天竜川以西の曹洞宗の若い僧侶グループ「照自会」は恒例の歳末慈善バザーを普傳院(安新町)で開催することを報じている。販売品は檀家の協力による約三千点という。
【笠井健康広場】
昭和五十六年十二月十八日付記事では、法永寺(浄土宗・笠井町)において浜松市の補助と地元自治会の負担により境内の約千平方メートルを整備して「笠井健康広場」を設営した。テニス・バレーボール・ゲートボールなどを楽しめるもので、高齢化社会に向かう住民の健康増進・体力づくりに役立たせるものである。第二章で記した龍禅寺境内の開放は、共働き世代の子供の放課後の居場所を提供するものであったが、法永寺の境内開放は高齢者への福音であろう。
【お寺deこんさあと】
昭和六十三年十二月十六日付記事では、萬福寺(曹洞宗・八幡町)において町内の青壮年会が町内親睦を深めるために寺院境内を借りて餅つき大会を催し、昨年以来の行事で十臼も搗(つ)く予定と報じている。
平成元年十月七日付記事では、蔵泉院(臨済宗方広寺派・西ケ崎町)において市民社会の多彩な関心と活動を背景にして、檀家の協力を得て音楽会が設営されていることを報じている。すなわち、先の「人生を語る会」でも紹介した蔵泉院は、その会員有志が「グルッポ・テッラ」(イタリア語で大地の会)を結成し、「お寺を新しい文化活動の拠点に」するという理念から、布教活動の一環として「お寺deこんさあと」を開催するもので、親子の参加を呼び掛けているのである。
この昭和年代末期の浜松仏教界と仏教関連の動きを拾うと、注目されるのが昭和五十九年六月十九日付記事である。浜松市の空襲記念日の十八日、市仏教会主催の「戦没戦災死者慰霊祭」が忠霊殿(住吉四丁目)で執行されたことである。
【遠州仏教積善会】
昭和五十八年十二月十六日付記事が伝えるものは、慈照園(鴨江三丁目)の社会的役割とその意義についてである。慈照園の前身は明治四十三年、出獄者の保護を目的として市内の寺院等が設立したものである。戦後は昭和二十七年から社会福祉法人の遠州仏教積善会が浜松市設置の慈照園(心身障害者更生施設)の管理運営を委託されてきた。昭和五十八年十二月十六日付記事は、この福祉事業の七十年間の歴史を回顧した『70年の歩み』を出版したことを報じたものである。なお、平成五年四月からは、救護施設の慈照園となり、設置運営主体が社会福祉法人の遠州仏教積善会となり、様々な仏教行事を催している。
昭和五十八年九月十七日付記事として、彫刻家水野欣三郎が龍泉寺(曹洞宗・半田町)井上義衍老師(第二章参照)から受けた禅的体験と、自らの芸術活動との接点を求めた座禅修行論を著述出版(『禅と芸術の接点』近藤出版社刊)したことを報じている。
(3)新宗教の場合
【創価学会】
新宗教の社会的活動について、創価学会の場合は「創価学会と公明党」という標題で、静岡県第三区の責任者へのインタビュー記事(『東海展望』第二百四十七号、昭和四十八年十月一日発行)を『新編史料編六』 四宗教 史料10に全文掲載している。浜松市政の評価と展望が語られているので参照されたい。
昭和四十九年七月十三日付記事では、浜松地区創価学会青年部は七月七日の七夕豪雨の被害者を救援するための義援金五十四万二千円を静岡新聞社に寄託したと報じた。これは青年部が街頭募金をして集めたものであった。同四十九年十一月五日付記事では、十一月四日、創価学会の第一回県総会が浜松市体育館で催され、県内各地の代表約五千人が集合し、郷土芸能紹介に続いて講演会が催されたと報じた。翌六日付記事では総会に先立って鼓笛隊や音楽隊による街頭パレードが披露されたことを報じている。
【立正佼正会】
立正佼正会浜松教会の場合は、昭和五十三年五月二十一日付記事では、五月二十日に市民安全課と消防本部へ、黄色い横断用小旗千本と救急車一台の目録を寄贈したと報じている。同会本部の四十周年記念を期して、浜松教会が会員から浄財約四百五十万円を集めた。市消防本部に配備された救急車は九台目になるという。同年七月一日付記事では、この救急車が市消防本部に納入されたことを報じている。さらに、平成元年五月二十三日付記事では、立正佼正会浜松青年部は、立正佼正会が五月の第三日曜日に設定している行事、五月二十一日の「青年の日」に、ボランティア活動で部員から集めた現金一万一千百五十円を浜松市緑の基金に寄託している。この「青年の日」のテーマは「我が街をクリーンに」であり、部員千五百人は中田島海岸、佐鳴湖、市の中心部で清掃活動を行ったものである。
【生長の家】
生長の家の場合は、昭和五十七年度静岡県光明化の運動方針について、生長の家静岡県教化部「光明の音信」第三四九号所収の「生長の家人類光明化運動」を『新編史料編六』 四宗教 史料11に抄録ではあるが掲載しているので参照されたい。これには信者獲得の方法論が述べられている。
【天理教】
天理教よのもと会西遠支部の場合、昭和五十九年八月十八日付記事では、八月十九日に教育講演会を浜松市福祉文化会館で開催することを報じている。講師は天理教江戸分教会長でベトナム、ラオスの救援奉仕活動に従事してきた山本利雄医学博士で、演題は「生命の未来」である。
【PL教団】
PL教団浜松教会青年部の場合、昭和六十一年五月十九日付記事では、鍛冶町通りで交通遺児の進学を援助するための街頭募金を行ったことを報じている。これは財団法人交通遺児育英会による「あしながおじさん制度」に協賛して、昭和五十四年から年四回、全国展開している募金活動に参加しているもので、浜松では青年部、小、中、高校生二十五人が参加したという。さらに平成元年十二月十九日付記事では、PL教団浜松教会青年部の「あしながおじさん」街頭募金は過去十年にわたって協力してきたが、今年は四月、九月に続いて第三回目が十二月十七日に行われ、若手信者約六十人が参加したと報じている。
(4)キリスト教団の場合
【カトリック教会】
浜松市内のカトリック教会の場合は、国際関係の深刻悲惨な状況である戦争・紛争・軋轢などの狭間で、流浪する難民、飢餓にあえぐ人々を救済せんとする活動が『静岡新聞』に報じられている。
昭和五十六年九月二十九日付記事では、浜松カトリック教会、鷺の宮カトリック教会(大瀬町)は二十八日、浜松市内で行ったアフリカ飢餓難民救済の募金の浄財六十八万三千六百二十九円をカリタス・ジャパン(日本カトリック社会福祉協議会)へ、二十八日に送ったと報じた。また同記事で、浜松カトリック教会(当時、成子町)、三方原カトリック教会(三方原町)、海の星カトリック教会(蜆塚三丁目)と、鷺の宮カトリック教会エンジェル会(子供会)は二十日、二十三日の二日間、市内繁華街で街頭募金を行い、この二日間にはボーイスカウト浜松第十四団と第二十二団の団員も協力したと報じている。同五十七年十二月二十二日付記事では、浜松カトリック教会が十二月十二日、十九日の両日、鍛冶町でアフリカ飢餓難民救済の募金を行い、三十九万円五千七百八十六円の浄財を集めたこと、また、十九日にはボーイスカウト浜松第十四団も募金活動に協力したと報じている。同五十九年九月二十四日付記事では、浜松カトリック教会は浜松市の繁華街五カ所で行ったアフリカ飢餓難民救済街頭募金に寄せられた三十八万五千八百五円を、カリタス・ジャパンを通じて役立てると報じている。同六十一年九月二十六日付記事では、浜松カトリック教会と鷺の宮カトリック教会は、発展途上国の子供の予防接種費用に充てる資金となる市民からの浄財十七万六千百二十円を、ユニセフ本部に送金したと報じた。同六十二年九月二十一日付記事では、浜松市内のカトリック教会とボーイスカウトがアフリカ難民救済のための募金を行ったことを報じている。
文化関係の催事として、フランス人宣教師ヴィグルー司祭が浜松カトリック教会を成子町に創立してから百年目となるのを記念して、昭和五十三年七月五日付記事で見るように、七月十六日に作家田中澄江の記念講演会の開催を報じている。演題は「人は何のために生きるのか」である。昭和五十五年十二月十日付記事では、横浜聖歌隊が浜松カトリック教会聖堂でクリスマスコンサートを行ったことが報じられた。大木俊夫浜松医科大学名誉教授の教示によれば、浜松カトリック教会は横浜教区に属していることにより、横浜聖歌隊の出演があったのである。昭和五十七年四月六日付記事では、十日午後七時に「ヒロシマ原爆の記録」の上映会を、浜松カトリック教会青年会が同教会内で開催することを伝えている。昭和五十九年五月十六日付記事では、作家曾野綾子による講演(演題は「現代に生きる聖書」)に際して寄付された浄財の現金十三万三千百三十円が、浜松カトリック教会によって、十五日浜松市社会福祉協議会に預託されたと報じられている。同社協は市内老人ホームに配分する予定という。昭和六十一年八月二十二日付記事では、九月六日、浜松市勤労会館で小説家小川国夫の講演があることを報じている。演題は「宗教と文学」である。平成元年五月二十九日付記事では、浜松医科大学合唱部が浜松カトリック教会で、「男声によるミサと、混声によるモテト(聖書の言葉を歌詞とする経文歌)の二部構成」によるコンサートを開いたことを報じている。平成元年十一月十一日付記事、浜松カトリック教会で二十六日午後二時から市内に滞在するフィリピン人ら外国人を対象にした英語のミサが開かれることを報じている。
宗教法人が音楽施設を建設し、積極的に音楽界の発展に寄与していることは周知のことであろう。その全国的規模の典型として立正佼正会が擁す普門館(東京都杉並区)がある。普門館は昭和四十五年に完成させたもので、吹奏楽を愛する全国の中学生・高校生等のあこがれの地。吹奏楽の「甲子園」と称されている如くである。
【遠州キリスト教会】
浜松市内のキリスト教会でも、その新築・改修等を契機に音響装置に意を用いていた。右の浜松カトリック教会も然り、次に見る遠州キリスト教会も然りである。
昭和五十九年六月十九日付記事では、遠州キリスト教会が既述の如く(第一項参照)、住吉二丁目に礼拝堂(遠州栄光教会)を完成させたので、その完成記念行事として同年六月二十三日にバリトン歌手岩阪憲和の「音楽の夕べ」を催すという。昭和六十年五月九日付記事では、九日午後六時の教育講演会開催を報じている。演題は「思春期問題の見方、考え方」、講師は江幡玲子思春期問題研究所所長。他方、遠州栄光教会では「浜松いのちの電話」の設立運動を勧めており、設立資金の協力を呼び掛けている。昭和六十一年三月二十八日付記事では、遠州栄光教会礼拝堂で浜松クリスチャン・コワイア、浜松バッハ研究会によるバッハのマタイ受難曲コラールの特別演奏があると報じている。平成元年六月六日付記事では、遠州栄光教会で市民混声合唱団アルス・アンティカによるルネサンス音楽が演奏されると報じている。平成元年八月二十日付記事では、遠州栄光教会で安田謙一郎弦楽四重奏団によるハイドン全曲連続コンサートが開催されると報じている。
【日本基督教団浜松教会】
昭和六十年二月十九日付記事では、日本基督教団浜松教会(高町)もまた、百周年記念の全面改築があり、百周年記念講演会が二十四日、午後二時半に開催されると報じた。講師は隅谷三喜男(東京女子大学長・日本学士院会員・日本キリスト教海外医療協力会会長)であり、当日の演題は「座標軸のある人生」であった。
昭和五十五年十月二十三日付、同十月三十日付記事では、スウェーデンのキリスト教団体の派遣で、日本同盟キリスト教団中沢教会に務めるフィンランド人のマウリ・ポルコラ宣教師が自宅に設けたユース・クリスチャン・センター(鴨江四丁目)で無料の英会話教授をすると報じた。さらに、同五十六年九月二十六日付記事では、右場所でスウェーデン人のエバ・フィリプソン宣教師が英文聖書と英会話を学ぶ無料バイブルクラスを開設すると報じた。
昭和五十五年十一月十三日付記事では、浜松福音自由教会(泉一丁目)で映画「マザーテレサとその世界」と牧師の講演があることを報じている。さらに、同十一月二十九日付記事では、右教会の米国人ドナルド・ハフ牧師が泉小学校を訪問したという。この牧師はアメリカ合衆国の航空機会社の元技術者であり、アポロ計画、スペースシャトル計画に参加していた専門家であることから、話は宇宙船やロケットについてであったという。
昭和五十五年十二月十四日付記事では、救世軍浜松小隊による毎年恒例の社会鍋が繁華街に出たことを報じている。
昭和六十年六月五日付記事では、末日聖徒イエス・キリスト教会(本部、米国ユタ州ソルトレーク市)の信徒の自発的義務として、海外における一定期間の宣教活動をしているが、米国人青年八人が親善を目的とした無料英会話教室(入野町)を開いていることを報じている。さらに、同六十年八月四日付記事では、右の会が英会話教室の三クラスを増設したことを報じている。
昭和六十年十月二十六日付記事では、浜松バプテスト教会(布橋二丁目)は、二十六日、「神の愛を信じてゆだねよ」、二十七日、「神の愛と人の愛」の演題で伝道集会を開くという。演者は中条儀助日本伝道協力会事務局長である。
昭和六十二年十月二十日付記事では、浜松キリスト教会(松城町)は二十日から二十二日にかけて計四回、登校拒否児のカウンセリングで知られる米沢教会の田中信生牧師による「心の時代」と題する講演会を開催するという。