[国家祭祀の重圧]

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 明治新政府は天皇を頂く立憲君主制の確立を目指した。天皇は皇室の祖先である天照大神に連なる現人神であり、神道は国家の祭祀であるとした。明治二十二年に発布された大日本帝国憲法にいう信教の自由から超越したもので、国家祭祀の神道は宗教ではないと位置付けられた。これによって国民全体が国家祭祀の神道を強制されることになる(島田裕巳著『神道はなぜ教えがないのか』第16章参照)。
 
【『活ける基督』の復刊】
 戦前でもキリスト教徒の中にはこれに違和感を持つ人々がいた。卑近な例では『浜松市史』四で言及した柳田秀男の個人雑誌『活ける基督』が、「国家神道」下の「神国日本」を聖書に言う「神国」に牽強付会させるという屈辱に甘んじ、昭和十五年、廃刊に追い込まれていく過程は痛々しいものがある(『新編史料編四』 四宗教 史料16)。この歴史を経験して、柳田秀男は戦後の昭和二十三年八月に『活ける基督』の復刊を果たすことが出来た喜びを述べた(『新編史料編五』 四宗教 史料18)。これは昭和二十年十二月、GHQが日本国政府に対して発した、いわゆる「神道指令」によって、国家神道の呪縛から解放されたからである(信教の自由の確立、軍国主義の排除、国家神道の廃止、国家と宗教との分離などの指示)。