【政教分離】
民主主義社会の原理となる右の政教分離が日常の市民生活で貫徹しているとは言い難い。市民は神仏混淆(こんこう)の日常を過ごし、地域社会の習俗の中で入信の儀式を経ずに、知らず知らずのうちに、その地域の神社の氏子になり、地域役員は氏子として祭礼行事を執行し祭礼負担を担っていた。この状況下、浜松市では靖国神社参拝の遺族に公金を支出し市役所職員を付き添わせた。これが問題の発端。
この事案について、昭和四十九年八月二十二日付で静岡地裁に住民訴訟が起こされた。すなわち、浜松市政教分離原則侵害違憲訴訟の原告団が発表した同日付の「声明書」の前半部分の一部と、後半部分の一部を引用すれば次の通りである(『新編史料編六』 四宗教 史料12、全文掲載参照)。
「神社(特定宗教)とゆ着する自治会への公金支出」及び「遺族会への靖国神社参拝に対する補助金支出」は、ともに憲法二〇条・八九条に定められている信教の自由、政教分離原則に完全に違反するため、浜松市監査委員会に、これらの公金支出を停止するよう住民監査請求をしましたが、市の弁護機関に過ぎない監査委員会は「違法かつ不当であるとは認めない」と、全面却下したため、これを不服として請求者八名が原告となり、このたび静岡地裁に住民訴訟を起こしました。(後略)
この訴訟の背景には歴史への反省があった。「戦前のわが国で政教分離の原則が確立しておらず、そのためあの無暴(謀)な戦争をするようなことになった反省からです。そして、その中心的役割を果たしたのが靖国神社であったのです。」と述べ、「今や日本全体が、戦前の状態に逆戻りしようとして急速に動いている」という現状分析に基づいている。「靖国神社国営法案を推進している人々は」、「今年(※注 昭和四十九年)の三月十三日、九段会館で開かれた『靖国法必成国民集会』で『靖国法案を成立させることは、もはや遺族や英霊などの問題ではない。現在の日本の体制のためなのだ』という発言があった」と指摘し、遺族会が目指すのは、肉親を「靖国神社に祀ってもらうよりも堂々と国に対して損害賠償を要求すべきもの」であり、精神的経済的な「社会保障の要求を実現」させたいと結んでいる。
「昭和四九年一〇月二三日」付で「浜松市政教分離原則侵害違憲訴訟原告団」と「浜松市政教分離原則侵害違憲訴訟を支える会」とが発表した「声明」によれば、右の違憲訴訟に対して、浜松市側は「問題提起を正面から受け止め改革へと踏み出」した。その結果、両者の『覚書』交換を経て、第一回公判突入を前に原告は訴訟を取り下げた。
その理由の一は、「憲法に定められた政教分離原則の正しさが、市当局や自治会によって承認され、全力を挙げてその実現に取り組むことを確約されたこと」にある。理由の二は、「遺族会に対する靖国神社参拝補助金と、これにかかわる一切の援助を遺族会自ら返上することを総会にて決定し、市当局も今後、補助金を支出せず、援助もしない方針を定めたこと」にある。これをもって原告団は「浜松市に政教分離原則の金字塔を高くかかげたもの」と評価した。
昭和六十年五月には、浜松市自治会連合会は『三十五周年の歩み』を刊行した(『新編史料編六』 四宗教 史料13)。その内容の要点二箇条は、政教分離の原則を前提に、宗教と自治会との関係について考え方を述べたものである。①宗教における祈とうやそのほかの宗教行為を伴う行事に自治会役員が直接参加することは好ましくない。また、②自治会の会則中に、宗教関係の条項や予算の計上、あるいは自治会役員としての直接参画等、これらが規定されていることは決して好ましくない。この二点が確認されている。ただし、靖国神社に対する考え方についての言及はない。