【プラザ合意 円高】
昭和六十年九月二十二日、先進五カ国の蔵相・中央銀行総裁会議がニューヨークのプラザホテルで開催され、ドル高是正のために、各国が外国為替市場に協調介入をすることを合意した。いわゆるプラザ合意の成立である。プラザ合意の目的は①各国の経済状態(経済成長率、国際収支、物価上昇率、失業率などのファンダメンタルズ)を為替レートに反映させること、②貿易不均衡を是正すること、③アメリカの貿易赤字と日本の黒字を減らすことなどであった。従来、アメリカはドル高と高金利は、強いアメリカ経済のシンボルであると主張していたものの、「双子の赤字」による貿易赤字の累積を容認できなくなり、一転してドル安・円高への修正を求めてきた。その結果、G5の協調介入により東京外国為替市場の円相場は、プラザ合意の直前の一ドル=二百四十二円から急激に円高に転じた。五カ月後の昭和六十一年二月には一ドル=百八十円、一年五カ月後の昭和六十二年二月には一ドル=百五十五円まで円高ドル安は進んだ。さらに同年十二月には一ドル=百三十円に突入し、ついに昭和六十三年一月には一ドル=百二十円台に達した。
【輸出競争力低下】
輸出依存度の高い浜松の産業は、この急激な円高により大きな影響を受けた。三大産業のうち輸送機械の昭和六十一年の輸出額は約六千三百二十四億七千万円で、対前年比で五・三%減少した。特に、二輪車が中国向受注の激減により十三・二%減、その他部品も約一割減少した。ただ、四輪車、バギー車は〇・四%であるが微増した。輸送機械業界は大手企業の国際化戦略により海外生産が増えており、円高の影響は軽微であった。車種別で見ると、円高の影響を大きく受けたのは第二種原付(五一~一二五cc)で、輸出先が中近東や中国のため外貨事情が悪化したことにより生産台数も生産金額も大幅に落ち込んだ。これに対して小型四輪車は北米・欧州をはじめ中南米や南アジアなどで現地生産を行っているため輸出が拡大した。楽器産業では、総生産額の五割強を占めるピアノが不調で、ピアノの輸出額は円高により七・〇%減少した。特に中小メーカーでは倒産や廃業が続出した。大手メーカーは楽器の電子化を進め、電子キーボードや電気・電子ピアノの生産を拡大し、輸出総額は六・六%増加した。三大産業のうち、最も打撃を受けたのは繊維産業で、円高による輸出競争力の低下に伴い、輸出額が二十・九%減少した。繊維産業は円高による輸出の減少だけでなく中国産のより安価な輸入品が増加したため、円高と新興工業国の追い上げという二重の打撃を受けたのである。電子機器・工作機械・木工機械などの一般機械も円高の直撃を受け、輸出額が対前年比(昭和六十一年)で二十一・七%も減少した(『浜松商工時報』第884号)。