【財テクブーム 金融投資】
プラザ合意以降の日本経済は、株価、地価、さらには絵画に至るまで高騰するという現象が起きてきた。いわゆるバブルの発生である。日経平均株価は昭和六十一年一月の一万三千円から平成元年末の三万八千九百十五円まで上昇し、約三倍になった。このような株価の高騰は、日本電信電話公社の民営化に伴うNTT株の上場を契機に始まった。歴史的な低金利の公定歩合とカネ余りを背景に、NTT株の上場は個人の株投資への関心をかき立て、財テクブームを引き起こした。額面五万円のNTT株は、上場の初日(昭和六十二年二月九日)に取引が成立せず、二日目に百六十万円の初値が付いた。株価はその後も上昇し続け、一カ月後には一時三百一万円まで跳ね上がった。さらに、企業の銀行離れが起き、金融資産への運用を増やし、いわゆる「財テク」取引を拡大させていった。企業は株や債券の発行によって調達した資金を設備投資資金として活用するよりは金融投資へ振り向けることが多かった。なぜなら、その背景には、金融の自由化によって、譲渡性預金(CD)の導入(昭和五十四年)、預金金利の自由化、市場金利連動型預金(MMC、昭和六十年)、十億円以上の定期預金金利の自由化(昭和六十年)などの改革が行われ、金融投資の収益性が高まったからに外ならない。特に大企業は低金利と株価の高騰の中で転換社債(途中で株に転換できる社債)、ワラント債(新株引受権付社債)や新株の発行などによって多額の資金調達が可能になり直接金融へ傾斜していった。大企業の、このような動きは銀行離れを招いたのである。そこで、銀行は中小企業への取引を拡大し、特に資金需要の強かった流通サービス業、不動産業、金融業、リース業などの中小企業への融資を増やしていった。これらのノンバンク融資・不動産融資がバブルを膨張させていったのである。