【NTT JT JR】
わが国が規制緩和・民営化の方向へ転換していった出発点は、昭和五十六年に設置された第二次臨時行政調査会(臨調)であった。臨調は行財政改革の一環として専売・電電・国鉄の分割と特殊会社化を打ち出した。これにより、昭和六十年に日本電信電話公社は日本電信電話株式会社(NTT)へ、日本専売公社は日本たばこ産業株式会社(JT)へ、それぞれ民営化した。一方、日本国有鉄道は、紆余(うよ)曲折があったものの昭和六十二年にJRとして六つの地域別の旅客鉄道会社と一つの貨物鉄道会社などに分割され、民営化が行われた。また、国鉄の債務は国鉄清算事業団が固定資産売却益などによって長期債務償還を行うことになった。
【浜松駅貨物跡地】
昭和六十二年、国鉄清算事業団は旧国鉄売却可能用地三千三百五十ヘクタールのうち同六十二年度中に売却可能な用地として二百ヘクタールのリストを公表した。その中には浜松市の浜松駅貨物跡地一万五千平方メートルも含まれていた。国鉄用地の売却をめぐっては、周辺地価の高騰を招く恐れがあったため、転売禁止のなどの規制がかけられた。浜松駅貨物跡地は、駅北口に隣接する東街区の一角にある一等地であるため、浜松市は用地の取得に乗り出した。東街区は国鉄高架によって生じた用地で、面積は約四万七千平方メートル、このうち旧国鉄用地は約半分の二万六千平方メートルを占めていた。国鉄清算事業団のリストに載った用地はバスターミナルに近い土地で、浜松市が都市計画を進めていく上で、最も重要な土地であった。浜松市はこの地区をコンベンション、ファッション・コミュニティ、テクノ母都市などの二十一世紀を展望した高次都市機能を持つ行政・文化・業務ゾーンと位置付けていた。従って、この用地を取得できるかどうかは浜松市の顔とも言える公共空間の利用計画上、重要な意味を持っていた。同年十二月、清算事業団からの払い下げが決定した。その際に、払い下げには、市民ホールなどの集会施設という利用条件が付けられた。