【大型店】
高度成長期における大手スーパーの全国展開に伴って、各地で地元の商店街との間に激しい対立が生まれてきた。そこで政府は昭和四十八年十月に大規模小売店舗法を制定し、同四十九年三月一日から施行した。この法律は「消費者の利益の保護に配慮しつつ、大規模小売店舗における小売業の事業活動を調整することにより、その周辺の中小小売業の事業活動の機会を適正に確保し、小売業の正常な発達を図」ることを目的に制定された。この法律の特徴は百貨店、量販店、大手スーパーなどの大型店の出店に対して出店を調整できる仕組みを定めたところにあった。法律によって調整される内容は開店日、店舗面積、閉店時刻、休業日数の四項目で、特に各地域で争点になったのは店舗面積であった。出店調整の対象になった店舗面積は千五百平方メートル以上とした。この法律は旧百貨店法が許可制であるのに対して届け出制をとり、本来ならば規制緩和のはずであった。しかし大手スーパーの進出や中小スーパーの出店によって各地で混乱が起きてきた。
前述したように、浜松においても大きな問題となり、社会問題化した郊外型スーパーに対して昭和五十二年五月、市は出店に伴う混乱を避けるために大型小売店舗出店指導要綱を制定した。この指導要綱は①地元小売業者と出店業者との共存共栄、②消費者便益の増進に寄与する消費者主義、③大型小売店に関する資料の公開、④地域の均衡発展に寄与する地域主義、⑤出店時における当事者間の調整、の五つの原則を理念とした。この原則に基づいて、店舗面積が三百平方メートル以上千五百平方メートル未満のスーパーの出店並びに増設に際して市に届け出る義務を課した。つまり大店法の適用外にされていたミニスーパーに対しても出店調整の対象にしたところに、この要綱の特徴があった。出店計画等の調整は浜松商工会議所が調整役になり地元小売業者と出店予定者との間で行うことになった。他方、大型小売店の出店によって大きな影響を受ける地元小売業者に対しては、昭和五十一年十月に導入された中小小売商業経営改善資金融資制度によって、体質改善や経営の安定化を図るための長期低利の融資を行うこととした。
要綱の実施以降、ミニスーパーの出店ラッシュもピークが過ぎ、逆にスーパーの倒産が目立つようになり淘汰(とうた)の時代に入っていった。