郊外型大型店

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【ジャスコ ニチイ】
 政府は、地方自治体や各地域の地元商店の強い要求に押される中、大店法の改正に踏み切った。昭和五十四年五月、売場面積千五百平方メートル以上を第一種、五百平方メートル~千五百平方メートル未満を第二種として、規制対象を中規模店にまで拡大する第一次改正大店法を施行した。また、閉店時刻や年間休業日数についても原則「午後七時、三十日」を基準とした。これにより大型店の出店は急速に減少していった。しかし、浜松においては事情が異なった。ミニスーパーの出店ラッシュが一段落すると、次に問題になったのは郊外型の大型ショッピングセンターの進出であった。昭和五十二年、大手スーパージャスコ(本社・大阪)が入野町へ、さらに、ニチイ(本社・大阪)が上西町の紡績工場の跡地に、それぞれ出店計画を打ち出した。ジャスコは「浜松ジャスコ・シティ」の名称で入野町の農地など三万千六百三十三平方メートルの敷地を確保し、鉄筋コンクリート四階建てで、売場面積はジャスコ直営が二万百二十八平方メートル、各種専門店が八千二百一平方メートル、合わせて二万八千三百二十九平方メートルの規模で、西武浜松店(二万二千六百平方メートル)を抜いて市内最大の店舗になる計画であった。一方、ニチイは東棉紡績工場の一部約二万四千四百七十六平方メートルに東棉紡績がデベロッパーになって二階建て一部三階建ての店舗を建設、これをニチイが賃貸する形で出店するという計画であった。売場面積はニチイ直営が一万二千六十六平方メートル、テナント面積が五千四百五十四平方メートル、計一万七千五百二十平方メートル(その後、一万五千五百平方メートル)の規模を計画した。このような出店攻勢に対して、地元の商店街は出店反対を表明した。ジャスコの出店に対しては入野地区の商店関係者をはじめ、可美村、篠原、舞阪町、雄踏町、新居町、湖西市の各商工会が大型店出店対策協議会を結成し、浜松市と市議会に対し反対の要望書を提出した。他方、ニチイの出店に対しては、長上、和田、中野町、笠井などの地元商店街が出店反対の姿勢を示した。