[中心市街地の地盤沈下と中心商業地活性化事業]

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【丸井浜松店】
 昭和四十九年八月二十四日、松菱・西武百貨店に次ぐ売場面積を持つ第三の大型店として丸井浜松店がオープンした。同店は月賦販売の大手で、サラリーマンやOLといった中間所得層をターゲットに耐久消費財など比較的高価な商品をクレジットというシステムで顧客に提供するところに特徴があった。浜松店は遠鉄名店ビル向かいの棒屋松竹跡に地下二階地上八階のビルを借り、八千百十一平方メートルの売場面積で衣類、家具、家電などを販売した。丸井浜松店の出店により中心商店街の核店舗が増え、商圏を拡大した。しかし、郊外型スーパーの出店ブームにより消費者の買い物行動が変化してきた。衣類品、家電製品といった買回り品は中心商店街で購入する消費者が多いが、食料品や雑貨などの最寄り品は地元の商店や郊外型スーパーなどで買い物をする消費者が多くなり、地元中心の買い物行動へ変化してきた。郊外の商業施設の充実とともに中心商店街の地位が相対的に低下し始めてきた。この傾向にさらに拍車をかけたのが郊外型ショッピングセンターの出店であった。
 
【中心商店街の活性化】
 昭和四十七年四月、浜松市は中心商店街の活性化を目的に中小企業庁の指定を受け、浜松商工会議所内に商業近代化浜松地域部会を組織し商業近代化のためのマスタープランを作成することになった。さらに、昭和五十五年には、このマスタープランを土台に商業近代化実施計画を策定し、①有楽街の買い物公園化、②鍛冶町十丁目の大型共同ビル化など、③モール街のショッピングモール化を提案した。
 
【『浜松地域商業近代化実施計画報告書』】
 『浜松地域商業近代化実施計画報告書』では、駅周辺整備事業に伴い外部資本の大型店や専門店の参入が地元の商店街に大きな影響を与えるという危機意識から中心商店街の近代化が提案された。駅周辺整備事業の効果が駅周辺地区にとどまらず中心商店街の発展に結び付くためには鍛冶町、有楽街、モール街を有機的に結び付けることが重要であると指摘し、それぞれの地区の特性を生かした機能分担を提案した。有楽街では自動車通行を排除または制限し、カラー舗装、街路樹、植樹帯、小公園、ベンチなどを整備し、安全に買い物ができる買い物公園が提案された。モール街ではショッピングモール化を進め、建物の一階部分を二メートルセットバックして歩行者道路を拡幅することが提案された。鍛冶町十丁目は地元商店とキーテナントが入居する大型共同ビルを建設、さらに同ビルに入らない商店を集めた個連店ビルや駐車場を建設するといった内容であった。しかし、これらのマスタープランを実現するためには複雑な権利関係を調整したり、膨大な投資資金を確保しなければならないため、いくつもの課題を解決していかなければならなかった。