【デイリーストア サークルK ファミリーマート ローソン】
小規模店舗(売場面積三十~二百五十平方メートル)、年中無休、長時間営業(一日十四時間以上)といった特徴を持ったコンビニエンスストア(以下、コンビニ)が浜松において乱立し始めたのは昭和六十年頃からである。浜松市内でのコンビニの進出は、昭和五十六年山崎製パン系サンショップヤマザキ=ヤマザキデイリーストアが萩丘店をオープンさせたことから始まった。さらに、昭和六十年十二月にユニー系サークルKジャパンの安松店がオープンした。その後、西武セゾングループ系ファミリーマート、ダイエー系ローソンジャパンが次々に出店し、激しい競争を続けた。昭和六十一年段階で浜松市内に立地していたコンビニは約五十店舗で、その内訳はデイリーストア二十一店舗、サークルK十八店舗、ファミリーマート四店舗、ローソン三店舗などであった。このコンビニの多くは脱サラして小売業へ転職した者や地元の酒屋や八百屋が商売替えしてチェーン本部とフランチャイズ契約を結ぶといったケースが多かった。フランチャイズ方式は、チェーン本部と店舗の間に資本関係や人的関係はないものの、フランチャイズ契約に基づいて商標の使用、店舗運営の指導、商品供給を受ける関係になっていた。昭和六十一年十二月に浜松商工会議所が実施した「コンビニエンスストア経営実態調査」によると、店舗経営者は「品ぞろえがよくなった」「店舗経営に必要な情報が入手しやすくなった」「店舗が近代化した」といったメリットを感じている一方で、「長時間労働で身体が疲れる」「拘束時間が長く私的な時間がとりにくい」といった問題点を抱えていた。店舗経営者は、大手コンビニの戦略の中で年中無休、二十四時間営業を守り、さらに商品仕入れ、陳列などにおいてもチェーン本部からの締め付けがあるため離脱する経営者もいた。にもかかわらずコンビニは、その後、ますます増えていき、一町内に複数の店舗が競合するという乱立状態になっていった。コンビニが拡大する背景には消費者の生活スタイルの変化、経済情勢の変化、さらには消費者ニーズの多様化などがあった。高度成長期は核家族化が進み消費が家族単位になり、それを前提にしたスーパーマーケットが消費者から支持された。しかし、低成長期以降になると家族形態が流動化し多様な形態になってくると、消費単位が個人になり、個人をターゲットにしたコンビニが消費者から支持されるようになっていったのである。また、勤労者やサラリーマンの実質賃金が、高度成長期のように伸びなくなったため、収入の不足をカバーする手段として家族総出で働くという多就業化が進んだ。そのため、家事労働時間が短縮される調理済み食品や簡便な商品への消費者のニーズが高まり、その受け皿がコンビニになった。さらにコンビニは商品を販売するだけでなく、サービスの販売を行い、消費者ニーズの多様化に対応した。サービスの内容は、宅配便の取り次ぎ、DPE(写真の現像、焼き付け、引き伸ばし)の取り次ぎ、コピーサービス、各種入場券の販売など拡大傾向にある。このようなサービス販売の拡大もコンビニが支持される理由であった。