高度成長以降も工業都市・浜松では工場の団地化が進行した。昭和五十年には浜松木工団地、同五十三年には浜松共同団地、同五十八年には東豊センター、同六十一年には浜松湖南工業団地、同六十二年には浜松馬郡工業団地、平成元年には浜松技術工業団地が次々に完成した。このうち浜松共同団地と東豊センターは中小企業庁の小規模企業共同利用工場建設譲渡制度に基づいて建設された工場団地で、「工場アパート」と呼ばれた。この制度は、従来の工場団地建設の基準より条件が低く、中小零細企業を対象とした団地化構想であった。その基準は①入居企業が五事業所以上、②入居企業の五分の四以上が従業員二十人以下の中小企業、③主として一つの建物の内部に集団で入る、などの条件があった。この工場アパートは一つの建物の中に複数の企業が同居するところに特徴があり、当初、入居企業従業員間の待遇問題でのトラブルが起こるのではないかと懸念されたが、無用の心配に終わった。浜松において工場アパートの第一号となった浜松共同団地では、個々の企業は零細でも工場アパート全体で見れば大工場並みのため入居企業のイメージが変わり従業員の確保が容易になった。また、一つの製品で金属加工と木工加工が必要な場合、アパート内の企業で処理することが出来るため搬送コストを削減できるメリットがあった。そのため、工場アパートとして共同受注が可能になった。
工場団地・工場アパートが次々に造成されたのにはいくつかの要因があった。第一は、何と言っても工業都市・浜松の成長と発展がある。戦後、三大産業と呼ばれた繊維、楽器、オートバイの各産業が成長し、さらに高度成長後も、わが国の主導産業になった加工組立工業が多く集積していたためである。第二に、政府が行う中小企業への産業政策が積極的に導入された。高度成長期に中小企業と大企業との格差、すなわち産業の二重構造が問題となり、それを是正する手段として中小企業の近代化、合理化として工場の団地化という方法がとられた。第三に、浜松では工業部門の急激な膨張によって住工混在化が起き、その結果として公害問題や用地拡張難などの問題を抱えた。それらを解決する方法として工場の集団化=団地化が進められた。次に、それぞれの工業団地の概要について説明する(表3―12参照)。
表3-12 工業団地一覧
場所 | 竣工時期 | 総面積 | 組合員数 | 従業員数 | ||
浜松木工団地 | 伊左地町 | 昭和50年3月 | 66,760㎡ | 20社 | 210人 | |
進出企業 | 浜松ボデー木工、明和工業、日本木工、名陽木工、材興商会、浜資、今出川ハンマー製作所、今出川ピ アノアクション製造所、北辰木材、エース工芸、斎藤建設、宏和工業、東洋工芸、岩瀬木工、服部商店、 浦海木工所、住吉工芸所、近藤木材、中野町チップ、アサヒハウスエ業 | |||||
浜松共同団地 | 坪井町 | 昭和53年12月 | 25,464㎡ | 19社 | 180人 | |
進山企業 | 岡本食品、東海オーディオ、東海工産、相曾木工所、浜松楽器、二宮工業、鈴清鉄工所、小野工業所、 鈴昭プレス、大和製作所、油井鉄工所、磐田精工、ユニオン工機製作所、アイソ超硬技研、井上鉄工所、 仲山プレス上業、鈴木プレス製作所、浜名産業、篠原合同運送 | |||||
東豊センター | 豊町 | 昭和58年12月 | 20,544㎡ | 11社 | 167人 | |
進出企業 | 東宏工業、マツモトプレス、加藤工業所、榊原鉄工所、宮木鉄工所、大栄製作所、サンライズ精機、日登 製作所、井熊鉄工、ダイコー化学工業、ダイコーアッセンブリー | |||||
浜松湖南工業団地 | 馬郡町 | 昭和61年10月 | 43,598㎡ | 14杜 | 362人 | |
進出企業 | ソフトプレンエ業、ベルテックスエ業、アルミ熱工、正英バンズ、いづみ食品、中部電子プリンティング、章 和製作所、酒井塗装、金指商会、西誠鉄工所、服部溶接、丸成金属塗装、ハマナ化成工業所、加藤メタ リックスプレーエ業所 | |||||
浜松馬郡工業団地 | 馬郡町 | 昭和62年10月 | 46,660㎡ | 15社 | 283人 | |
進出企業 | 富士工具製作所、大五運送、浜名食品、タツミ工業、トーワ技研、鈴上電気、河合精機、浜名産業、刑部 化工、九石鉄工所、磐田精工、東洋冷熱、いなさ、マル久工業、アンドゥ製作所、鈴木塗装工業所 | |||||
浜松技術工業団地 | 大久保町 | 平成元年4月 | 262,856㎡ | 20社 | 987人 | |
進出企業 | 旭、アルプスエンジニアリング、河口精機、協和精機、サカエ金型工業、新日本特機、杉山機械、トーキ ン、東和製作所、日栄紙工、口星オプト、ワールド電子工業、村松風送設備工業、ハマニ化成、ローラント ディー.ジー.、デコラテックジャパン、高山ハーネス、コスモテック、エス・ティーケイ、遠州カートン |
史料59.『浜松の商工業』各年度版.浜松湖南工業団地協同組合リーフレットより作成
【浜松木工団地】
(1)浜松木工団地 昭和四十六年頃から市内の木工業者を中心に団地化が計画され、同四十七年二月に木工業二十社が参加して浜松木工団地協同組合が発足した。用地については東名浜松西インター近くの伊左地町の水田、山林など約六万八千平方メートルを候補地として市開発公社に斡旋を依頼した。同年十二月に買収契約が成立し、昭和五十年三月に完成した。同組合は、進出企業を資材供給五社、製品製造加工十四社、廃材、端材処理加工一社の三部門に分け、さらに製品製造加工部門をピアノ・オルガン部品製造や厨房・家具製造など業種別にグループ化することによって企業間の連携を強化することを狙った。
【浜松共同団地】
(2)浜松共同団地 工場アパート構想第一号として建設された工場団地である。坪井町に完成した工場アパートは楽器部品、食料品、一般機械など異なった六業種、十九社が入り、全国的にもモデルケースとして注目された。昭和五十三年十二月に完成した工場アパートは鉄骨一部二階建て四棟、延べ九千百平方メートルであった。工場棟のほかに共同施設として廃水処理施設、焼却炉などが設置された。このアパートの特色は緑の中の工場を目指し、約二万五千平方メートルの敷地に二割の緑地帯を設けたところにあった。当地方に自生するクスノキ、シイノキ、クロガネモチなどの常緑樹を中心に緑地帯を確保した。
【東豊センター】
(3)東豊センター 二番目の工場アパートとして昭和五十八年十二月に完成した。同センターはプレス、切削、プラスチック成型加工などの中小企業十一社が市街地から集団移転したもので、天竜川沿いの豊町に約二万五百平方メートルの敷地を確保し、鉄骨造り一部二階建ての工場を三棟と組合会館一棟を建設した。入居した企業の業種は二輪車・四輪車部品、複写機、OA機器、プレス加工、楽器部品など様々であるが、将来的にはそれぞれの企業の技術やノウハウを融合して新製品の開発を目指した。
【浜松湖南工業団地】
(4)浜松湖南工業団地 昭和五十六年九月の計画では市内に工場を持つ輸送機器関連、金属機械加工業を中心に白羽町に建設する予定だったが、用地取得難とオートバイ産業の不振により同五十八年の計画を変更し、団地名も浜松南部工業団地から湖南工業団地に変更した。馬郡町内の遊休養鰻池の跡地、約四万三千平方メートルを取得し工場団地を造成、同六十一年十月に竣工した。
【浜松馬郡工業団地】
(5)浜松馬郡工業団地 浜松湖南工業団地の東隣に建設された浜松馬郡工業団地は篠原商工会が計画した異業種工業団地である。進出したのは自動車関連部品、電子部品、食品など多種多様な企業で、昭和六十二年十月に完工式を迎えた。
【浜松技術工業団地】
(6)浜松技術工業団地 県下最大の工業団地で敷地面積は約二十六万二千平方メートル。浜松市内と雄踏町などにある技術レベルの高い異業種の中小企業十七社が協同組合を設立、大久保町に建設を進めた。工場二十一棟、組合会館一棟の計二十二棟の建物が建設され、総延べ床面積も約五万平方メートルと大規模な工場団地である。進出企業はVANシステムの利用のための共同開発研究事業に取り組み、浜松版シリコンバレーを目指した。平成元年四月に竣工した。