輸送機械工業の躍進

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 戦後、浜松地域の産業をリードしてきた輸送機械工業は、昭和五十年代に入って幾つかの変化が表れてきた。第一に、変動相場制移行に伴う円高傾向のなかで、ホンダ、スズキ、ヤマハ発動機といった三大メーカーと下請企業との利害が必ずしも一致しなくなってきた。第二に、オートバイ産業は昭和五十年代がピークで、次第に四輪車や船外機・ボート・雪上車などの生産にシフトし始めた。
 
【KD生産】
 大手三社のオートバイ部門は円高の中でも比較的好調でフル生産を続けた。好調の背景には①浜松生まれのホンダ、スズキ、ヤマハ発動機の三大メーカーが世界のオートバイの多くを生産し、海外にこれといった競争相手がいない、②円高対策として完成車の輸出を減らし、KD生産(現地組み立て)など海外での生産を強化してきた、③国内市場においてはファミリー向けのオートバイに人気が集まったことなどがあった。これに対して下請企業は親メーカーからのコストダウン要請がより厳しくなり収益が悪化し、さらに受注量も減少していった。つまり、輸送機械工業の成長は地域経済全体に、必ずしもプラスの効果だけを生まなくなってきた。
 
【オートバイ 四輪車】
 表3―14において昭和四十八年から平成元年までの輸送機械の生産動向を見ると、第一種原付は昭和五十七年をピークに減少傾向にあり、第二種原付も昭和六十年代に入ると大幅に生産高を減らしている。また、軽自動二輪車や自動二輪車も昭和五十五、六年をピークに減少傾向にある。これに対して年々生産高を増加させているのが軽自動四輪車と小型四輪車である。浜松(遠州)の輸送機械工業は、この十数年でオートバイから四輪車へシフトしてきたことが分かる。
 
表3-14 遠州の輸送機械工業生産高の推移 (単位:台)
第一種原付
(50cc以下)
第二種原付
(125cc以下)
軽自動二輪車
(250cc以下)
自動二輪車
(250cc以上)
軽自動四輪車
小型四輪車
昭和48年
630,087
896,303
334,903
338,521
243,054
680
49年
619,400
1,112,648
462,831
450,594
197,568
6,272
50年
577,956
1,048,374
294,455
252,759
168,603
-
51年
691,265
1,046,580
249,963
282,841
201,581
-
52年
895,459
1,510,358
323,386
438,183
238,517
1,462
53年
1,200,482
1,421,927
327,907
497,770
236,056
11,673
54年
1,168,004
828,537
249,510
469,819
312,759
32,176
55年
1,447,655
1,151,316
504,830
814,054
396,401
72,282
56年
1,801,304
1,371,807
362,142
1,050,586
468,709
110,167
57年
1,905,681
1,244,121
317,407
769,062
480,843
122,310
58年
1,046,623
674,175
291,200
549,863
474,263
157,047
59年
1,048,802
569,891
266,304
456,976
456,852
233,019
60年
1,072,135
775,789
206,278
454,282
460,044
321,857
61年
960,429
340,086
181,040
440,532
474,400
398,011
62年
607,704
295,657
211,990
391,134
479,726
388,134
63年
710,662
353,109
246,698
343,582
493,342
352,581
平成元年
715,766
268,016
201,756
381,017
509,068
359,250
出典:『浜松市統計書』各年版より作成