【ヤマハ発動機】
大手三大メーカーは円高による経済環境の変化とオートバイ市場の成熟化に対応してFA化(生産工程の自動化)やロボット化を進めると同時に汎用製品の開発も行っていった。昭和五十六年ヤマハ発動機は二輪車生産を自動化、省力化する手段として、自社開発した組立用多関節ロボットを本格導入した。従来、二輪車のエンジンやボディーはサイズが小型で、かつ入り組んだ構造になっているため、人間の熟練が必要であった。
ヤマハ発動機が開発した産業用ロボットは①人間の腕と同様の機能を持ち汎用性に優れている、②人の腕を上回る高精度とスピードを持つ、③構造がシンプルで小型かつ安価であるなどの特徴を持っていた。ヤマハ発動機は、この産業用ロボットをエンジンや駆動機構の組み立てに導入することによって、作業スピードと精度を大幅に上げることが出来た。このほか、小物部品を自動的に供給する装置である多重フィーダーや使用後のパレットを返送するシステムとしてリニアモーター式コンベヤーを導入し、多機種の大量生産に対応していった。
【鈴木自動車工業】
鈴木自動車工業は、昭和五十八年リッターカーの生産拠点として湖西第二工場を建設した。同工場では作業環境の改善や省力化を目的にプレス、溶接、塗装、組み立ての各分野に自動機やロボットを導入した。特に、溶接部門は百十九台のロボットを配置、スポット溶接では約九十七%の自動化を実現した。このようなロボット化の推進によって、生産能力は月産一万台になった。
【本田技研工業 汎用機】
昭和五十八年、本田技研工業は浜松製作所に汎用機専門工場を建設し、この部門の整備拡充を行った。ホンダの汎用機部門は四輪車、二輪車に次ぐ第三の柱として位置付けられていた。新工場は素材から加工組立まで一貫生産システムをとり、約五十八機種の多品種少量生産を目指した。生産品目は耕運機、芝刈り機、除雪機、発電機などの小型高性能のエンジンで年間百三十万台の生産を目標とした。ホンダの汎用機は昭和二十八年H型エンジンの生産を開始して以来、浜松製作所を拠点工場に五十八機種のエンジンを製造・販売してきた。昭和五十七年の汎用機生産は全国シェア二十五・七%を占め、国内最大の生産量(百二十五万台)を誇った。