[団地化する農業]

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【集団化・団地化】
 高度成長以来、浜松では工業の発展とともに都市化が進み農地が減少してきた。そのため農地、宅地、工場用地の混在化が起き、農家にとって営農環境が悪化してきた。また、農業労働力の他産業への流出によって自立した経営を維持することが困難になってきた。それらの課題を解決する方法として、集団化・団地化が進められ、施設園芸を中心とした都市近郊農業を形成してきた。昭和五十二年当時、市内にあった団地は次のとおりである(『広報はままつ』同年四月二十日号)。
 
【メロン】
(1)芳松園(農事組合法人・大柳町) 昭和四十一年、第一次農業構造改善事業により十二人の組合員によって設立された。ガラス温室五十六棟(七千二百平方メートル)を持ち栽培作物は市場性の高いメロンを生産した。
 
【ポットマム】
(2)麗(うらら)園芸(農事組合法人・古人見町) 昭和四十三年、第一次農業構造改善事業により六人で設立された。設立当初の組合員の平均年齢は二十三歳の農業後継者で構成され、ガラス温室二十一棟(五千四百八十六平方メートル)を持ち、ポットマムを主体に生産。年間十六万鉢を出荷した。
 
【電照菊】
(3)佐輝浜園芸(任意組合・佐浜町) 昭和四十三年、第一次農業構造改善事業として、組合員四十八人で設立された。ビニールハウスが九十棟(二万九千七百五十三平方メートル)あり、電照菊を主に栽培した。
 
【セルリー】
(4)海華園芸(任意組合・古人見町) 昭和四十四年、第一次農業構造改善事業として組合員二十八人で設立。干拓地にビニールハウス三十八棟(二万二千九百八十八平方メートル)を建設、セルリーを主に栽培した。
 
【トマト キュウリ】
(5)日新園(農事組合法人・東三方町) 昭和四十七年、施設園芸集中管理モデル事業として組合員九人で設立。浜松で最初の水耕栽培を行った。ガラス温室十九棟(二万九千二百六十平方メートル)を持ち、トマト、キュウリを栽培した。
 
【水耕栽培 ミツバ】
(6)大久保園芸(農事組合法人・大久保町) 昭和四十九年、稲作転換促進特別事業として、組合員七人で設立。水耕栽培を採り入れ、ガラス温室十九棟(二万八千六百七十四平方メートル)を持ち、養液への酸素補給や加温が自動的にコントロールされ温室に送られる省力化された近代的施設によってトマト、キュウリ、ミツバを生産した。
 
【スイカ メロン】
(7)九領園芸(農事組合法人・大久保町) 昭和五十年、稲作転換促進特別事業として組合員八人で設立。同四十六年に大規模ほ場整備事業によって整備されたほ場にビニール温室十八棟(二万七千九百七十一平方メートル)を建設、主にセルリー、スイカ、メロンなどを栽培した。
 
【養鶏】
(8)浜松アドバンス・ポートリー・ファーム(任意組合・都田町) 都田町の養鶏団地は、都田農協が中心になって昭和四十六年から三カ年計画で団地を造成した。総事業費は五億四千万円で十・四八ヘクタールの面積に九名の養鶏農家が入居した。
 
【養豚】
(9)野養豚団地(農事組合法人・吉野町) 吉野地区で六戸の農家が農事組合法人を結成し、昭和五十二年一月吉野養豚団地を建設した。吉野地区は市内でも養豚の盛んな所で、市内飼育頭数三万頭のうち約十四%に当たる四千三百頭余りも飼育していた。しかし、環境衛生上から住居と畜舎を分離して養豚を近代化する必要から団地化を導入した。養豚場は二・五ヘクタールの敷地に鉄骨平屋建て豚舎、分娩舎など十九棟に、し尿処理施設を完備、常時三千頭を飼育し、年間四千八百頭の出荷を目指した。ランドレース、ハンプシャ―、大ヨークシャー、デュロックなどの種豚三百頭を飼い、出生したものは全て肉豚に仕上げ出荷することにした。多頭化し規模の拡大を図ることの難点は大量の排泄物の処理問題にあった。そこで回転円板「曝気方式」(直径二・四メートルの発泡スチロール製の円板を回転させ円板上に微生物が付着繁茂し窒素や有機物を酸化分解するという装置)を導入、一日当たり九トンの排泄物を処理し、畜産公害の対策とした。