[ウナギ養殖の浮沈]

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【ウナギ養殖】
 浜名湖周辺部での養鰻業は昭和四十三年頃が最盛期で、約六千七百七十八トンの生産量と約三十七億円の生産金額を上げていた。しかし、昭和五十年代に入ると生産コストの上昇、台湾産ウナギの攻勢、施設の高度化に伴う遊休池の増大、さらに稚魚の不安定な供給や地下水の使用規制もあって経営不振に陥ってきた。そのため、養鰻池の半分近くが開店休業状態で、組合員の多くが転廃業していった。そこで養殖施設の近代化・合理化や遊休養殖池の再開発を図るために、昭和五十三年、静岡県は養鰻用水合理化パイロット事業をスタートさせた。この事業は養鰻池の区画整理・再開発、用水施設・排水処理施設整備、温室施設の整備に対して融資・補助を行うことによって養鰻業の再生を図ろうとするものであった。また、昭和五十七年七月、低迷するウナギ消費の打開策として浜名湖養魚漁業協同組合と浜名湖食品会社は提携して、ウナギの白焼きをパック詰めにして全国の家庭へ配送する直送システムを導入した。
 しかし、昭和六十三年、県と西部振興センターが実施した調査によると、浜名湖周辺の養鰻池のうち遊休池面積は四百五ヘクタールにおよび、稼働池面積二百七十五ヘクタールの約一・五倍になっていることが分かった。浜名湖の養鰻池は沿岸七市町全てに存在し、二十地区に分かれている。そのうち浜松市が九地区、湖西市が三地区、舞阪、新居、雄踏の各町が二地区、細江、三ヶ日町が一地区ずつとなっていた。昭和四十六年当時、養鰻池面積は八百二ヘクタールもあったが、年々減少し、最盛期の三分の一まで縮小した。この急激な減少は、先に述べた理由が背景にあるが、それに加えてハウス養殖の普及により、以前より広い面積を必要としなくなったことも原因になった。放置された遊休池を、どのように利用するかが今後の課題となった。