こうして、十月十五日に待望の高架開通の日を迎え、開通式は午後四時二十分に予定された。しかし、予定どおり開通式を迎えるためには、列車の運行や二五七号線の交通への影響を最小限に抑えながら、在来線の高架線への切り替え、仮こ線橋の撤去とその部分への線路・架線の敷設という作業を短時間に終了する必要があった。
十月十五日午前十時から六時間二十分にわたって天竜川・高塚間の東海道本線を全面ストップして、在来線から高架線への切り替え作業が行われた。切り替え作業は、午前十時に浜名郡可美村東若林の高架線西端の切り替え地点の下り線から始まり、午後四時二十五分に上り線が終了した。この間、東海道線は天竜川駅と高塚駅で折り返し運転となり、両駅間はバス連絡された。
他方、浜松仮こ線橋は、計画通り前日十四日の午前七時から十五日にかけて三十メートルにわたって撤去された(『静岡新聞』昭和五十四年十月十三日付)。撤去と同時に、仮こ線橋下の高架橋に線路と架線を敷設する作業を開通する十五日の四時二十分までに終え、無事工事を終了した。
仮こ線橋の撤去作業開始とともに全面通行止めになっていた二五七号線は、東海道線切り替え工事開始を待って、高架橋と立体交差する上下一車線の仮道路の敷設工事を開始し、午後一時過ぎに開通した。
報道によれば、国鉄は在来線から高架線への切り替え作業等に八百六十人の人員を投入、また、二五七号線の全面通行止めに伴う、う回路への誘導と規制のために、浜松中央署は、十月十四・十五日の両日に延べ三百人の署員を動員したという。
【高架化完成記念式典】
開通式を前に午後二時から浜松市体育館で東海道本線浜松駅付近高架化完成記念式典が行われた。運輸省、建設省、国鉄、県、市関係者、地元選出国会議員ら約千人が出席した。五期二十年にわたって高架化事業を推進した平山前市長は来賓としての挨拶で「きょうを迎えることができたのは全市民の英知の結集によるもの。市民一人一人が喜んでくれていると思う。私も喜びで胸がいっぱいだ」と語った(『静岡新聞』昭和五十四年十月十六日付)。
【高架開通式】
この後、予定通り午後四時二十分から参列者、報道陣、一般見物人で身動きが出来ないほどになった駅高架ホームで開通式が行われた。五月に就任した栗原新市長や平山前市長らのテープカット、河合浜松商工会議所会頭らによるくす玉割りに続いて超満員の一番列車(三島行き、六両編成)が四分遅れの午後五時にホームを滑り出すとホームは万歳と拍手に包まれた(図3―34)。
図3-34 一番列車