【こだまの増発】
「こだま」の浜松駅停車本数は、新幹線開業時には上り下り各十四本、合計二十八本であった。その後、「こだま」の増発が繰り返され、開業から五年後の昭和四十四年四月には下り四十八本、上り四十八本、合計九十六本(季節運転を含む)となった。同四十五年・四十六年には上下六十本に増えた。しかし、石油ショック等の影響で同五十年には上下四十九本、翌五十一年には上下四十七本になった。
昭和四十七年七月、浜松市、浜松商工会議所、同市観光協会の三者は、「ひかり」の浜松駅停車と「こだま」の増発を国鉄に陳情した。その後もたびたび国鉄に陳情したものの、「ひかり」の停車については暖簾(のれん)に腕押しの感があった。
【ひかり停車】
待望の「ひかり」が初めて浜松駅に停車することになったのは、昭和五十五年十月のことである。この年、国鉄は国鉄史上最大とも言うべき合理化の一環として、同年秋のダイヤ改正で「こだま」と在来線急行の削減を行った。代わって「ひかり」と在来線特急を増強した。その結果、地元からの要望が強かった「ひかり」の停車が静岡(上下各二本)、浜松(上下各一本)、豊橋(上下各一本)等で実現することになった。他方、「こだま」の浜松駅の停車本数は、上下各四十三本、合計八十六本に削減された。
浜松駅停車の「ひかり」上下各一本は、上りは七時十分浜松発で八時四十四分東京着、下りは東京二十一時発で浜松に二十二時三十二分着であった。これは東京日帰り出張に好都合なダイヤだったため、「ビジネスひかり」と呼ばれた。
しかし、浜松市が国際都市化やテクノポリス推進等により、さらに発展するためには、「ひかり」上下各一本の停車では不十分であった。そのため、市や商工会議所をはじめとして国鉄への「ひかり」停車本数の増加に向けた陳情はその後も続けられた。
国鉄は昭和六十年三月に大幅ダイヤ改正を行い、各新幹線の時間短縮と列車の増発、停車駅パターンの多様化を図った。この結果、「ひかり」と「こだま」の運行本数を一時間最大「ひかり」五本・「こだま」五本から、「ひかり」六本・「こだま」四本に変更するとともに、「ひかり」の熱海駅と三島駅への停車と静岡、浜松、豊橋の停車本数を増加した。静岡駅は四本(上下各二本)から二十一本(上り十一本・下り十本)へ、浜松駅は二本(上下各一本)から十本(上下各五本)へ、豊橋駅が二本(上下各一本)から六本(上下各三本)へ、それぞれ停車本数が増加した。これに対して「こだま」の浜松駅の停車本数は、上下合わせて八十二本から七十二本へ減少した。
昭和六十三年三月には、新富士、掛川駅の開業に合わせてダイヤ改正が行われ、浜松駅に停車する「ひかり」は、十八本(上下各九本・季節運転を含む)となった。