鉄道線の乗車人員は、昭和五十年度以降は再び減少傾向を示し、同五十九年度には約百九十六万人減の約七百三十八万人と昭和三十五年度以降の最低を記録した。この間、高架化事業や浜松駅周辺整備事業が進行する中、鉄道部門の近代化や業務の合理化が進められた。その結果、乗車人員は、高架工事が完成した昭和六十年度以降増勢に転じた。
まず、昭和四十九年八月電車検査場を西ヶ崎駅構内から西鹿島駅構内に移転、昭和五十二年には電車検修車庫が西鹿島駅構内に完成した。これにより西鹿島駅は、近代設備を備えた電車基地として整備された。
【CTC ATS】
安全・保安面では、昭和四十九年三月、残されていた遠州八幡駅─新浜松駅に列車集中制御装置(CTC)が採用され、全線のCTC化が完了した。また、昭和四十九年以降、コンクリート枕木やコンクリート電柱の採用を進め、同五十二年には馬込川鉄橋の補強工事を完成させた。さらに、同五十二年十月には遠州助信~西鹿島間に列車自動停止装置(ATS)を採用、同五十三年十一月までに全線に導入した。なお、昭和五十年代にはそれまでの踏切信号機に代わって踏切自動遮断機が設置された。
浜北市域の発展と利用客の増加に伴い、昭和五十二年八月には遠州貴布祢駅を浜北駅に改称、そして浜北駅を駅兼商店街の駅ビルに改築しオープンした。また、北浜駅を北浜中学校前駅に変更した。その後、遠州上島駅、遠州小松駅、遠州西ヶ崎駅の改築を進めた。