[市営バスの民営移管と廃止]

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 市営バスの一日当たりの輸送人員は、昭和五十五年度にはとうとう三万人を割り込んだ。また既述のように、バスターミナル利用に関連して二路線が遠州鉄道に移管される等、経営再建が絶望視される中、昭和五十八年六月には、再び浜松市自動車運送事業対策協議会が設置され、市営バス事業の存廃について再協議されることになった。
 
【民営移管】
 同協議会は、同年十一月に「3年を目途に縮小しつつ民営移管」を内容とする答申を市長に提出した。同年同月、市は市営バス対策会議を設置して、答申を受けての対応について協議し、基本方針及び浜松市自動車運送事業の民営移管等に係る実施計画の大綱について取りまとめた。
 こうして市営バス事業は、昭和六十一年度までに遠州鉄道に移管されることになった。移管に際しては、公共性のサービスの確保並びに事業の的確かつ円滑な移管を図るため、昭和五十九年二月に市営バスは実施計画の内容を骨子とした確約書を同社との間に締結した。
 昭和六十一年七月の市営バス対策会議では、市営バスは昭和六十一年十一月三十日をもって民営移管を完了し、廃止することが決定された。これに関連する条例および予算案については九月二十五日の本会議で可決された。
 遠州鉄道への移管は、ほぼ実施計画の大綱どおりに進められた。昭和五十九年四月の乗合部門の福塚線、貸切部門を皮切りに移管が開始され、期限までに最後まで残っていた二路線の移管を終了した。こうして予定期限までに移管決定時の十三路線全てが遠州鉄道に移管された。また、同じく百九十六人いた職員の処遇についても、身分を保障した上で、希望退職者を募集するとともに他部局への配置転換等を行って、これを終了した。
 不良債務等の解消は、昭和六十一年度までに一般会計からの計画的な助成措置により行われた。路線の前倒し移管、職員の前倒し出向、補助金の繰り上げ助成等により、それまでの不良債務を縮小しつつ、最終的には予想額を下回る金額で解消が図られた。
 
【市営バス廃止】
 市営バスの廃止に当たって、最終日の昭和六十一年十一月三十日二十一時二十五分からバスターミナルでお別れバス発車式が行われた。同発車式には、市長、市議会議長や元交通部職員と利用者など約五百名が参加した。二十二時からは交通部で閉所式が行われ、ここに半世紀にわたる市営バス事業が終わりを告げた。