[タクシー業界の合理化とサービス多様化]

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【無線機】
 昭和三十年代中頃からタクシーに無線機が取り付けられ、昭和四十八年になると、市内には、八百四十余台の無線車が走るようになっていた。浜松中央署では無線タクシー会社基地局と結ぶ通報装置制度の準備を進め、逃走犯検挙に協力を求めた。同四十八年九月一日、市内タクシー会社と協定締結の上、同制度を実施した。
 
【個人タクシー】
 昭和三十九年に登場した個人タクシーは、昭和四十年代末には百十三台となった。個人タクシーの配車を効率的にするため、浜松市個人タクシー協同組合は独自の集中基地局の開局を申請、昭和四十九年十一月に仮免許認可となり、十二月十七日に開局した。
 
【観光タクシー】
 昭和五十二年八月には、浜松市タクシー協会と同個人タクシー協組が参加して、観光タクシーがスタートした。市内近郊の名所旧跡などを運転手がガイドになって案内するもので、四つのコースと料金が設定された。第一次ガイド認定試験の結果、百八十一人が合格した。観光タクシーは好評で、五十四年には新たにガイド試験に百十五人が合格し、九社一団体合わせて約千台のタクシーのうち、約二割が観光タクシーとなった。
 また、昭和五十二年十月には、浜松交通タクシーが他社に先駆けてワゴン車を改造した十人乗りジャンボタクシーを登場させた。
 昭和五十七年六月には、市内の大手タクシー六社が車両位置等自動表示(AVM)システムをスタートさせた。また、これとは別に同年十月、中央タクシーが全自動車両管制(AVC)システムを導入した。いずれも走行中の車両の位置と活動状況を管理センターで自動的に把握して、無線車の配車効率の向上等を図ること等を目的とした。
 
【配車システム】
 配車システムやタクシー装備の充実や情報技術の導入による合理化やサービスの向上はその後も進み、昭和六十三年三月に一部のタクシー会社では領収書自動プリンター装置や乗務員の営業記録を記憶するICカードの利用も始まった。