懸案だった東名高速道路浜松─三ヶ日間のインターチェンジについては、設置に向けて東名高速道路開通年の昭和四十四年に市議会に東名浜松西インター促進特別委員会を設けるなどして運動を重ねた。浜松インターチェンジを出入りする交通量が予測を上回っていること、浜松市の農業や商工業、観光業の分布から見て重要度が高いこと、浜松インターが市の東に寄り過ぎていることなどから、建設省もその必要性を認識していた。この結果、建設省は、昭和四十六年度の国土開発幹線自動車道の第五次基本計画および整備計画案において、増設インターチェンジの一つとして浜松西インターの建設を加えるに至った。同インターは同年六月一日に建設審議会で正式に決定された。
【浜松西インター供用開始】
浜松西インターの設置地点は湖東町に決定し、設計に基づいて実測の後に用地買収に入った。昭和四十八年中のインターの使用開始を目指したが、用地買収が難航して着工にこぎ着けたのは昭和四十八年二月であった。工事の進捗も石油危機に伴う資材の高騰等で若干遅れたものの昭和四十九年三月上旬に竣工し、同月二十六日から供用開始となった(図3―39)。浜松西インターは、昭和四十四年二月に東名が開通して以来、初めて追加増設されるインターとなった。
図3-39 浜松西インターの開通
浜松西インターは、企業立地や輸送面だけではなく、舘山寺をはじめとする浜名湖周辺の観光地の玄関口として、大きな役割が期待された。当初は一日の通過車両が約五千台だったが、一年後には七千台に増加した。特に、土日・祝日やオートレース、競艇開催日等には、一万二、三千台の車が利用するようになった。ただし、インター取り付け道路の建設は、南西は舘山寺街道、北東は吉野町までしか進んでおらず、観光シーズンや土日・祝日には渋滞や騒音に悩まされた地域住民は、早急な整備を要望した。