昭和四十七年七月、国道一号線の渋滞とそれによる騒音と排ガスを緩和し、浜名湖周辺の観光開発の一環としての国道一号線浜名バイパスの路線が決定した。同バイパスは、篠原町から浜名郡新居町大倉戸まで延長十二・九キロ、四車線を盛土造りと高架橋、途中、今切口に架橋して結ぶものであった。坪井インターで浜松西インターへの取り付け道路となる都市計画街路坪井豊西線と接続、新居町より西は潮見バイパスで豊橋市に接続する予定であった。翌四十八年から用地買収に入り、昭和五十年に浜松区間を皮切りに、舞阪、新居各区間の工事が開始された。
【浜名大橋】
昭和四十八年三月、道路部分の着工に先立って浜名大橋の架橋工事が始まった。同橋は全長六百三十一・八メートル、幅員九メートル2連(上下各二車線)、浜名湖が遠州灘と通じる今切口では二千トン級の船舶が通行できるように桁下三十メートル、橋脚間の長さは二百四十メートルで、プレスコンクリート製としては世界最長と言われた。同橋は、昭和五十一年夏に完成した。
浜名バイパスは、予定より一年遅れの昭和五十三年三月竣工、同月二十四日に開通した。一日三万台が走る国道一号線の交通量を確保しながら、一号線の中央にインターを造る工事や着工早々石油危機による資材の高騰等もあって総工費は、当初の百二十億円から約二百億円へ増加した。開通当日は、午前十時からの新居弁天料金所付近で開通祝賀式を行い、続いて午後三時から供用が開始された。同バイパスの通行料金は普通車二百五十円、大型車四百円とされた。
地元の大きな期待を担ってスタートした浜名バイパスの利用車両は、開通二年目でも一日当たり五千四百三十七台で当初予測の三分の一に過ぎなかった。国道一号線沿線住民の渋滞や騒音公害の緩和という点ではほとんど効果がなかった。このため、昭和五十八年十二月から夜間通行料金の割引(普通車百五十円、大型車二百五十円)を、五十九年二月からは夜間回数券の発売を行った。また、昭和六十年三月には制限時速を七十キロから八十キロへ変更するなどした。この結果、昭和六十二年には通行車両は一日当たり一万台強へ増加した。