このような物価上昇傾向が強まり、消費者運動も活発になってきた昭和四十八年十月、突如、石油危機が発生した。十一月頃からトイレットペーパーや洗剤・砂糖・食用油・灯油は品不足となり、激しい値上がりとなった(『新編史料編六』 七社会 史料15)。品不足の要因として業者による投機的な商品買い占めがあった。そこで、行政による業者への指導や家庭用チリ紙の緊急放出(『静岡新聞』昭和四十八年十二月三日付)が行われたり、消費者団体による買い控え運動(『静岡新聞』同年十二月四日付)が起こったりした。消費ではなく、節約が美徳となりつつあった。
【浜松勤労市民生協】
市役所の中堅職員グループは、新生活運動をもじって〝辛生活運動〟として職場のお茶は遠慮する、風呂は一緒に入る、新聞のチラシを習字や計算に利用する、鉛筆は手で削るなどアイデアを生かした節約を提唱した(『静岡新聞』昭和四十八年十二月十五日付)。また、浜松勤労市民生協に加盟している主婦たち千人が、鴨江観音境内で集会を行い、灯油・チリ紙などの品不足解消と値下げのために、流通経路の調査と、在庫量・価格の公表を業者に求める決議をした。その後、浜松駅前までデモ行進を行った(『静岡新聞』昭和四十八年十二月二十三日付)。さらに、浜松消費者の会は店頭から消えた洗剤を探しに卸問屋の調査を行っている(『静岡新聞』昭和四十九年一月二十四日付)。
【第二次石油危機 ガソリンスタンド ゴミ10%減量運動】
政府の緊急物価対策に呼応して、大手商社が流通経費削減による値下げを徐々に実行に移し、その結果、昭和四十九年二月には、灯油・ガソリンが店頭に多く出回るようになり、値崩れが心配になるほどダブつくようになった(『静岡新聞』昭和四十九年二月八日付)。「売りません」から「買ってください」に、店の態度が変わったと『静岡新聞』同年二月九日付は書いている。このように物不足は峠を越していったが、石油危機による不景気は数年間続き、昭和四十九年は戦後初のマイナス成長となった。しかし、同時に浜松市消費者物価指数の移り変わり(図3―43)のように石油危機後の物価上昇の勢いも継続していた。そこで、庶民の節約志向も継続されることとなった。また、経済の高度成長の終焉(えん)は消費は美徳の時代の終焉でもあった。なお、昭和五十四年、第二次石油危機に際して、再び省資源志向が台頭し、百貨店の一割節電やガソリンスタンドの日・祝日の一斉休業(静岡県では約六割のみ)が行われた。また、同年の夏は省エネルックとして、ループタイや扇子やウチワが爆発的な売れ行きを示した。中でも、男子用の扇子では在庫ゼロの百貨店も出るほどだった(『静岡新聞』昭和五十四年七月六日付)。浜松市も昭和五十五年度から省資源・省エネルギー時代に対応するため市民総ぐるみの市民運動として、ゴミ10%減量運動を提唱し、様々な地域グループに呼び掛けて推進していった(『静岡新聞』昭和五十五年二月十七日付)。
図3-43 浜松市消費者物価指数の移り変わり
【消費者物価】
なお、昭和四十五年から同五十五年までの浜松市消費者物価指数(総合)は図3―43のように推移した。昭和四十五年から同五十年までは約七十%、同五十年から同五十五年までは約三十五%の上昇であった。その後の同五十五年から同六十年までは約十三%、同六十年から平成二年までは約七%の上昇であった。消費者物価は第一次石油危機直後の急激な上昇期の後、上昇率は徐々に緩やかなものになっていったことがうかがえる。