[一家に一台の乗用車と勤労世帯の中流意識]

678 ~ 678 / 1229ページ
【乗用車】
 浜松市の乗用車保有台数は昭和三十年代からバブル期まで一貫した上昇傾向を示し、昭和四十八年に二・四世帯に一台となった。軽自動車台数は同四十年代半ばで乗用車台数に抜かれつつも緩やかに上昇していたが、マイナス成長を記録した同四十九年を境に二万台から一万台水準に減少した。その後一万台前後で推移していたが、バブル期になると一万台を割り込むようになった。二輪車は四十年代半ばから同四十九年にかけて微減していたが、石油危機からマイナス成長、その後の低成長期の昭和五十年代は一貫して増加している。ところが、昭和六十年代のバブル期には、二輪車台数は伸び悩み、低下傾向を示している。このように経済の高度成長期と低成長期、さらにバブル期と変遷する中、軽自動車は低成長期に停滞し、バブル期には減少しているが、二輪車は低成長期に増加しバブル期には停滞しているように、消費動向に違いがあった。
 経済の高度成長が石油危機を契機に急激に鈍化し低成長になったにもかかわらず、勤労世帯の月ごとの実収入はおおよそ増加傾向を示している。これが図3―43のような大幅な物価上昇であっても市民の購買意欲が衰えず、一世帯に一台の乗用車を購入しようとする行動の背景にあったと考えられる。昭和四十五年から五年後の五十年に総合物価指数は約一・七倍に増加しているが、同時期の勤労世帯の月ごとの実収入も約二倍増加しているからである。なお、一家に一台の乗用車となったのは平成四年であった。