公害

678 ~ 680 / 1229ページ
 四日市市では深刻な大気汚染による住民の健康被害に対して、加害企業へ損害賠償を求めるような住民運動が起きたが、浜松市ではそのような動きは起こらなかった。しかし、浜松市の公害に関する苦情受理件数(表3―23)でも分かるように、昭和四十年代末期に、公害苦情件数が三百件を上回る時期があった。
 
表3-23 浜松市の公害に関する苦情受理件数
年度
総数
大気汚染
水質
汚濁
騒音
振動
悪臭
その他
ばい煙
粉じん
ガス
昭和40年度
98
9
27
3
11
32
6
10
-
41年度
128
21
24
3
8
43
3
21
5
42年度
123
19
23
1
8
48
7
16
1
43年度
92
12
16
4
13
35
3
7
2
44年度
163
15
17
4
10
90
6
20
1
45年度
183
13
27
11
17
83
9
19
4
46年度
219
30
29
5
34
80
12
26
3
47年度
265
40
34
13
52
74
9
39
4
48年度
301
49
31
5
65
81
9
55
6
49年度
308
48
42
2
52
90
16
50
8
50年度
235
44
32
0
31
68
9
49
2
51年度
209
38
23
1
31
69
10
36
1
52年度
224
42
26
3
49
66
13
25
0
53年度
177
23
12
1
32
70
6
33
0
54年度
205
36
16
2
24
85
6
36
0
55年度
134
13
11
1
31
60
10
8
0
出典:『苦情、相談からみた公害発生の傾向』昭和44年3月発行、『市政の概要』
   昭和44年度版、『公害防止へのみち』昭和50年・昭和56年より作成

 
【大気汚染 光化学スモッグ 酸性雨 水質汚濁 騒音】
 大気汚染には工場やビルなどの煙突から出るばい煙や自動車の排気ガスに関する苦情が多かった。なお、昭和四十八年と同五十年には、浜松市域でも光化学スモッグが夏場に発生し、校庭にいた小学校の児童や中学校・高校の生徒が目や喉の痛みを訴える被害をもたらした。また、同五十一年には酸性雨が降り、目が痛いなどの症状を訴える被害があった(『新編史料編六』 七社会 史料17)。水質汚濁では、馬込川や市中心部を流れる新川などで昭和三十年代から年ごとに汚れが目立ってきていた。工場からの廃水、家庭からの汚水、さらにゴミの投棄等が原因となっていた。さらに、騒音についての苦情では製缶やプレスなどの金属加工業、楽器などの木工業、深夜作業も多い織布業や撚糸業に関するものや自動車騒音が多かった。なお、昭和五十年代にカラオケが深夜飲食店(スナックも)に広がり、また、各地にカラオケボックスが出来ると夜間の騒音の苦情が出てきた。
 
【公害係】
 これらに対して、市は昭和四十一年に公害係(同四十六年に公害課)を設け、公害の実態の測定や調査、市民の苦情や相談に対応した発生地の調査や県公害防止センターと協力した問題処理を行っていたが、これらについては第一節 政治を参照されたい。