【老人医療費無料化 市営バス無料化】
昭和四十四年十二月、東京都が七十歳以上の老人の医療費を無料にし、都民から大きな支持を得た。この政策を取り入れる動きが全国的に徐々に広まっていく中で、浜松市も国に先駆けて、昭和四十七年四月から七十歳以上の寝たきり老人の医療費を無料にする政策を実施した(『広報はままつ』昭和四十七年九月二十日号)。昭和四十八年に田中内閣は福祉政策の充実に向けた大改革を行った。老人福祉法を改正し老人医療の無料化、健康保険法を改正し家族に対する保険給付の割合を引き上げ、高額医療費に対する助成制度の実施等である。その結果、国は福祉・医療・年金等の社会保障関係費を前年と比べ約三割増額させることになり、福祉元年と呼ばれることになった。当時は、市も財政力があったため、老人福祉充実のため、昭和四十九年四月から老人医療に市独自の助成を行うことや七十歳以上の老人などに市営バスの無料化を実施し、十二月から遠鉄バスでも利用できる一人一年間で二千円の乗車券を支給するようになった(『新編史料編六』 七社会 史料45)。
ところが、昭和四十八年十月の石油危機により日本経済は大きな打撃を被り、翌年は戦後初めてのマイナス成長、以後も低成長が続くことになり、福祉財源の確保が困難な状況に直面し、福祉見直し論が急速に台頭、福祉も聖域ではなくなった。
【日本型福祉社会】
そこで、政府は日本の高齢者の約四分の三が子供と同居している状況を踏まえ、昭和五十四年の「新経済社会七カ年計画」で、欧米型の福祉国家を目指すのではなく、個人の自助努力と家族や近隣の連帯を基盤とした日本型福祉社会を構想した。昭和五十六年、「増税なき財政再建」を掲げた第二次臨時行政調査会は、福祉サービスへの受益者負担導入の導入と福祉行政への総合的な見直しを答申した。その結果、昭和五十七年には、老人保健法を制定し、老人医療費に一部自己負担を導入し、昭和六十年と翌年、二回に分けて社会福祉施設措置費の国庫負担割合を八割から五割まで削減し、さらに福祉施設利用者の費用徴収の強化を実施した。