コミュニティケア

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 この時期、施設ケアの充実だけでなく、施設活用を踏まえたコミュニティケアへの政策転換が全国的に行われ、施設への収容だけでなく、在宅のお年寄りへの訪問サービスや、在宅のお年寄りが施設を利用する在宅福祉サービスの充実が図られ始めた。
 
【家庭奉仕員】
 家庭奉仕員(ホームヘルパー)の制度が始まったのは昭和三十八年、当初は老人世帯を対象としたが、同四十二年には障害者へのサービスも開始した。昭和五十七年十月一日からは課税世帯にもこのサービスを拡大(一部は有料)した。
 
【移動入浴車】
 昭和四十九年九月十日、寝たきり老人に入浴サービスを行う移動入浴車はまかぜ号が走り出した(『新編史料編六』 七社会 史料44)。市内の老人宅から約三十人の入浴希望者があり、市社会福祉協議会が市からの委託事業として、一日二~三軒を回り、定期的なサービスを実施した。
 
【デイサービスセンター 高齢者介護ホーム】
 また、昭和六十年、県西部初のデイサービスセンターである砂丘荘が田尻町に誕生した(『新編史料編六』 七社会 史料52)。同センターは、在宅の虚弱老人の入浴サービスや食事サービスを行い、心身機能の向上を図る目的で設置された。市から社会福祉法人三和会に委託という形で運営され、一日の利用人数は二十五人、料金は一日五百円であった。週一回ずつバスの送迎サービスを受けて利用したが利用者は居住区域が限られていた。このため、市は西島寮(西島町)、白萩荘(鴨江三丁目)を建設、さらに全市域をカバーすべく、平成元年に第三静光園(根洗町)、一空園(安新町)と神久呂の園(神ケ谷町)をオープンさせ、これで市全域をカバーすることになった(『静岡新聞』平成元年三月八日付、同年十月三日付)。一方、家族などが仕事で老人の世話が出来ない場合、一時的に預かる専門施設としては県下初の高齢者介護ホームの小萩荘(鴨江三丁目)が昭和六十一年十二月八日に開所した。これは浜松市などから委託を受けて社会福祉法人の慈悲庵が建設したものである(『静岡新聞』昭和六十一年十二月九日付)。