【点字ブロック 点字案内板 浜松市障害者の住みよい街づくりを進める会】
点字案内板や点字ブロックは、昭和四十年代始め頃から設置され始めたと言われている。盲人のための点字ブロック(当時はカラーブロック)が連尺町の地下道の入り口に設置されたのは昭和四十四年三月三十一日のことであった。また、同四十八年四月には、新設された市役所前の地下道の出入り口や通路の曲がり角に、目の不自由な人のために点字案内板が設置された。地下道に点字案内板が設置されるのは県内初であった(『静岡新聞』昭和四十八年四月六日付)。市は、身体障害者の交通安全対策として、点字案内板だけでなく、歩車道の段差解消や目の不自由な人のための特殊信号機の設置を徐々に進めていたが、昭和五十年、市身体障害者福祉協会は、地下道を車いすでも利用できるスロープを付けてほしいと市当局に要望していた(『静岡新聞』昭和五十年四月二十四日付)。同年、車いす友の会浜松支部の女性会員が国鉄浜松駅から市役所まで、車いすに乗って一人で到着できるか実験してみた。すると、横断歩道では、歩車道の間の十センチ近くの段差に輪を取られ、電話ボックスで電話をかけようとしたが失敗し、市役所の回りは階段が多くて車いすは〝拒否〟されていた。健常者だと約二十分で歩いて到着できるが、この実験では、途中、善意で助けてくれる人の世話になりながらも約一時間半かかった。『静岡新聞』昭和五十年六月十三日付の記事では、「福祉都市にはほど遠い浜松 あちこちに難所」との見出しで詳しく報じていた。同年九月、障害者六団体は浜松市障害者の住みよい街づくりを進める会を結成し、浜松駅をはじめ市内の様々な施設や道路を、車いす使用者、盲人、ろうあ者や保護者、ボランティア活動の青年などが点検・調査を開始した(『静岡新聞』昭和五十年九月七日付)。昭和五十六年の段階でも、車椅子では街に出られない様子が『新編史料編六』 七社会 史料18でもうかがえる。この実地調査は、市が改修新設した浜松市社会福祉会館でも行われ、点字案内もなく、ほとんどの障害者が二階以上には上がれない階段であると指摘された(『静岡新聞』昭和五十一年三月一日付)。前述の市障害者の住みよい街づくりを進める会は、国鉄の新駅舎についても障害者にも利用しやすい施設にしてほしいと市議会に陳情している(『静岡新聞』昭和五十一年十二月一日付)。
【段差解消 身体障害者専用トイレ】
このような状況下、市はフラワーパークでの段差解消を昭和四十九年から始め、同五十四年に身体障害者専用トイレを設置し、身体障害者の受け入れ体制を一応整えた(『静岡新聞』昭和五十四年二月二十七日付)。
また、市福祉事務所は身体障害者の外出時の案内役としてのガイドブック『出よう触れよう はままつガイド』を作成している(『静岡新聞』昭和五十四年四月二十日付)。
この後、浜松市障害者の住みよい街づくりを進める会は、段差だけでなく商店の入り口が車いすで通れるかも調べ、より使い勝手の良いガイドブック作りを進めていった(『静岡新聞』昭和五十八年八月二十七日付)。