浜松まつりの参加町・組数は、昭和四十年代末から五十年代半ばにかけて徐々に増加し、五十年代末から平成二年にかけて激増していった(表3―27参照)。それぞれ石油危機後の低成長の時期と、低成長からバブル景気の時期と対応している。この参加町数の激増期の昭和六十年四月十七日に中田島町の凧揚げ会場の近くに浜松まつり会館が開館した(『新編史料編六』 七社会 史料106)。
浜松まつりへの参加は、それぞれの地域の集団のまつり本部への申請によって可能となる。また、特定の神社などの宗教施設との関係は必要としない。その意味で参加に至るシステムは開放的である。しかし、それぞれの地域には地元の神社を中心とした祭りが存在している。そこで、新規に浜松まつりに参加するようになるには、地元の祭りを行いながら、浜松まつり用の組織作りと運営に必要な経費の調達が必要となる。表3―27のように凧揚げへの参加は景気回復に従って増えていったが御殿屋台の引き回しへの参加数は伸び悩んでいた。これは、新たに屋台をつくる負担の大きさから、凧揚げへの参加で済ませることが多かったと見られる。つまり、浜松まつり参加町数の増加分のほとんどは凧揚げへの参加数の増加であった。戦前からの旧市内の参加町に隣接する地域から徐々に参加が増えていった。新規参加の地域には新興住宅地も含まれていた。
表3-27 凧揚げと屋台引き回しの参加町(組)数、人出の推移
年 | 参加町(組)数 | まつり の人出 (万人) | 備考 | |
凧揚げ | 屋台 引き回し | |||
昭和48年 | 49 | 47 | 70 | ・御殿屋台引き回しを30分延長、午後7~10時。 ・タコ糸製造部を設置。 |
49年 | 54 | 48 | 160 | ・石油危機後の物価上昇で、凧の単価は昨年より2割、提灯は5割、 法被は2割上昇。 ・まつり本部は①宣伝ポスターの更新をやめて昨年と同じものにする ②おまつり広場の芸能時間を短縮し、プロの芸能人を呼ぶのをやめ る③パレードへの紙ふぶきをやめるなどの自粛路線を決めた。 |
50年 | 53 | 48 | 158 | |
51年 | 57 | 49 | 165 | ・おまつり広場での芸妓手踊りが取りやめ。 |
52年 | 57 | 50 | 120 | ・芸妓手踊り、再開される。 |
53年 | 61 | 50 | 165 | ・史上最高の人出で凧揚げ会場特設駐車場の水揚げが倍増した。 ・浜松まつりから暴力をなくすため、まつり参加者全員が所属する自 治会を表すワッペンを法被につけることを義務付けた。 |
54年 | 62 | 53 | 170 | ・"ワッペン作戦"が奏功し、ケンカや暴力行為が激減。制限時間を守 り、練りの引き際も鮮やかだった。 |
55年 | 66 | 53 | 181 | ・東海道線の高架が完成し、駅南地区の屋台9台も駅北側の中心街 に集結。 |
56年 | 66 | 52 | 193 | |
57年 | 69 | 49 | 215 | ・第1回こどもねり大会に12000人が参加。 |
58年 | 76 | 54 | 272 | ・ミス浜松まつりコンテストが始まる。 |
59年 | 83 | 54 | 276 | ・まつり本部が暴力追放といれずみ者のまつり参加禁止を決議。 |
60年 | 91 | 272 | ・4月、市は浜松まつり会館を中田島町に開設。まつりの期間以外で も浜松まつりの臨場感ある擬似体験ができる施殿。 | |
61年 | 102 | 52 | 172 | |
62年 | 114 | 54 | 235 | |
63年 | 123 | 56 | 260 | |
平成元年 | 125 | 59 | 269 | ・高校生の浜松まつり参加についての結論は持ち越しとなった。 |
2年 | 136 | 65 | 59 |
注:参加町数や人出数は新聞各紙によって異なるが、主に『静岡新聞』・『中日新聞』の数字を使った。
【暴力団追放 ワッペン作戦】
また、この時期、まつり運営と暴力事件、暴力団との関係を減らすための取り組みが重要な転機を迎えた。暴力団をまつりから締め出し、暴力事件をなくすために、まつり参加者全員が町名を表すワッペンを法被につけるワッペン作戦を実施した。これによって目的はほぼ達成されたかにみえたが、昭和六十一年、砂山町のまつりの推進者の中に暴力団関係者がいたり、暴力団絡みの事件が続発したりする中で改革が進められた。
【高校生の参加問題】
浜松まつりへの高校生の参加問題についても関係者の議論が行われた。自治会関係者は、地域の一員としての社会参加の必要性やまつりの継承などを理由に高校生のまつり参加に賛意を示し、市青少年補導センターは無断でまつりに参加する高校生もあり、しっかりしたルールを確立させて参加を認めた方がより教育的配慮ではないかと話した。学校関係者は、学校以外の生徒指導まで学校が責任を持っている現状では、慎重にならざるを得ないと話し、PTA関係者は、親としては参加させたいが、何かあった場合を考えると積極的になれないと語り、この時点では結論は持ち越しとなった(『静岡新聞』平成元年二月十四日付)。