【阿波踊り】
昭和六十一年十月十日から十二日の三日間、市中心街活性化のために浜松秋まつりが開催された。市と浜松商工会議所などで組織した同まつり実行委員会は、春の浜松まつり、夏の七夕まつりに並ぶ浜松三大まつりとして、商店街での市民参加による阿波踊りと太鼓競演を二つの柱に企画した。実行委員会は東京の高円寺商店街の阿波踊り(人出百万人)を見学し準備を進めた(『静岡新聞』昭和六十一年八月三十日付)。初日は呼び物の太鼓芸能大会(県内十二団体)が遠鉄新浜松駅高架下広場で開かれ、さらにジャズダンスショー、体操・新体操模範演技、チャレンジボディビル、スピードガンに挑戦など、体育の日にふさわしい行事が目白押しで、十万人の人出であった(『静岡新聞』昭和六十一年十月十一日付)。最終日は市内の企業など二十団体、千四百人による阿波踊りがフィナーレを飾った。見物客は三十万人(期間中合わせると五十五万人)であった(『静岡新聞』昭和六十一年十月十三日付)。翌年は十月十七日・十八日の両日となり、鍛冶町通りでも二千百人が阿波踊りを行った。両日合わせて五十万人の人出であった(『静岡新聞』昭和六十二年十月十九日付)。昭和六十三年の秋まつりは、天皇陛下のご病気を考慮し中止された。平成元年の秋まつりは、十月二十八日・二十九日と十一月五日に実施された。遠鉄新浜松駅から浜北駅を往復するジャズ電車の運行、阿波踊り、サウンドステージショーなどを中心とする「音楽の街」を前面に押し出したまつりを実施した(『静岡新聞』平成元年十月二十九日、十一月六日付)。