[ボウリングとゴルフ]

715 ~ 716 / 1229ページ
【ボウリング】
 安価で、老いも若きも気軽に楽しめるスポーツとして、昭和四十年代半ば頃、全国的に爆発的なブームとなったボウリングも昭和四十七年頃をピークに次第に人気を落としていった。浜松地区でも最盛期には二十九センター、千七十三レーンもあったボウリング場は同四十九年九月末には、十三センター四百十一レーンにまで減少した(『新編史料編六』 七社会 史料97)。住吉町のボウリング場・ロイヤル・スポーツ・プラザは、その後分譲マンションとなり(『静岡新聞』昭和四十八年十月九日付)、そのほかはスーパーマーケットや各種施設などに転用されていった。
 
【ゴルフ】
 また、県西部地域には昭和四十年頃から各地にゴルフ場が建設され、同五十年代の初めには十三カ所もあった(『新編史料編六』 七社会 史料100)。昭和四十一年に開設された浜松カントリークラブでは、経済の高度成長期には利用者は年間六万人を数えたが、石油ショック後の昭和五十一年頃には月平均千八百人前後にまで利用者が減っていった(『静岡新聞』昭和五十一年十一月十八日付)。しかし、その後の昭和五十年代後半からの景気回復により、遠州地方では今まで以上にゴルフ場開発が進んだ。また、市内にはゴルフ練習場やショートコースなどが数多くでき、多くのゴルフファンで賑わいを見せた。