【子ども会】
子供たちの健やかな成長のため、市内のそれぞれの地域に子ども会が出来ていた。これらの子ども会の大きな悩みは、子ども会を運営していくリーダーの養成であった。大人や中高生などのリーダーと子どものリーダー(インリーダー)が子ども会のリーダーを務めていた。そこで、年度末に各地の子ども会は次年度への引き継ぎのため、六年生のお別れ会と五年生のインリーダー講習会を開いていた。昭和五十年三月に城北小学校区の約六百人の子供が参加していた住吉子ども会は、浜松市立青少年の家で、それぞれ一泊二日でこれらの行事を行った。同子ども会は地区ごとに十部に分け、さらに二十人から五人の班を七十設けていた。お別れ会では六年生五十六人が参加し、中学生の心構えなどの講義を聞き、野外ゲームやキャンドルサービスの集いなどを行った。インリーダー講習会では新年度の活動の中心となる班長クラス七十一人を集め、子ども会の在り方や運営などについて話し合い、新会長を選んだ。この講習会には浜松市子ども会連合会の子ども会のリーダーのお姉さんたちも参加していた(『静岡新聞』昭和五十年三月三十日付)。なお、市内では子ども会リーダースクラブの輪っ子の会が活躍していた。同会は昭和四十年に誕生し、中学生から社会人まで、高校生が中心となっており、昭和五十五年当時は約六十人の会員がいた。市内の子ども会から市児童会館を通して同会に出動要請があると、三、四人が一組になって遊びの指導や合宿訓練の裏方などを務めていた。特に夏休み中は最も忙しく、同じ日に五つの子ども会から申し込みがあることもあった。活動は全てボランティアであった(『静岡新聞』昭和五十五年七月十七日付)。これら子ども会のリーダーの研修会は毎年のように市立青少年の家で開かれ、講義や実技の研修が行われていた。
【県立観音山少年自然の家 かわな野外活動センター】
なお、子ども会や青少年団体、学校の子供たちが野外活動を行える場所の確保は昭和四十年代半ば頃から大きな課題であったが、昭和四十八年七月二日、県立観音山少年自然の家が引佐郡引佐町久留女木に開所されると、浜松市内をはじめ近隣の小中学校から予約が殺到していた(『静岡新聞』昭和四十八年七月十九日付)。この課題の解決に大きく貢献したのが、昭和六十年七月六日、引佐郡引佐町川名に浜松市が建設したかわな野外活動センターの開所であった。浜松市街から車で約四十分、動物園の二倍の広さの施設であった。センター内には四つのキャンプ場が設けられていた(『広報はままつ』昭和六十年四月二十日号)。