[医師同乗のヘリ搬送]

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 昭和四十五年五月四日、南アルプス聖岳付近で訓練中の大学生ワンゲル部員が発病し、聖平小屋に収容された。病状が悪化して救援を要請した。連絡を受けた静岡中央署は東京の民間ヘリコプターに依頼したが、悪天候で箱根を越えられないとのことで、八日午後、浜松南基地に属する航空自衛隊救難教育隊に出動を依頼した。山岳地帯の悪天候をついて、燃料切れの時間内でようやく強行着陸して救出に成功した。直ちに給油のため浜松南基地に戻り、次いで静岡に直行し駿府公園に到着。待機していた救急車で県立中央病院に搬送されたという。
 
【救急ヘリコプター】
 右は『静岡新聞』が同年五月十日付で報じたものであるが、同紙にはその後たびたび救急活動としてヘリコプターが活躍している記事が現れる。同五十四年一月九日付の報道では、愛知県警察本部のヘリコプターが愛知県北設楽郡設楽町から県西部浜松医療センターに患者を緊急搬送しているが、設楽町も浜松市もともにヘリコプターの発着地点を確保するに難しかったようである。また、同五十四年一月二十四日付では、磐田郡水窪町から聖隷浜松病院へ患者を収容できたことを報じている。
 このような事態を救済するべく、ヘリコプターを使って山間辺地の急病患者を都市の総合病院に搬送する方法が急務となり、これを実現するための実験が同五十七年五月二十五日に行われた(『静岡新聞』同年五月二十六日付記事)。これは磐田郡佐久間町と三方原町の聖隷三方原病院とを結ぶ試みである。
 医師を同乗させての飛行の場合、問題点はやはり常設のヘリポートが不可欠であることが明らかになった。この点については聖隷福祉事業団が常設へリポート建設に向けて国や県に働き掛けることになった。
 
【日本救急医療ヘリコプター】
 昭和五十八年十月に入って、聖隷福祉事業団は中日本航空(本社名古屋市)と共同で日本救急医療ヘリコプター株式会社を設立するための作業を開始し、翌五十九年三月に発足することを目指した。
 救急ヘリコプターには人工呼吸装置、点滴装置など最新の医療機器約二十種を積み、医師と看護婦が患者を治療しながら搬送するもので、時速は約二百キロである。他方、聖隷三方原病院近くに常設のヘリポートを設営し、操縦士を常駐させ、医師等は同病院と委託契約を結ぶというものである。生死を分かつ救急医療は三十分という限界内では、その飛行範囲は百キロ圏内であり、静岡県内と愛知県、長野県、三重県、岐阜県の一部に及び、搬送費用は一回、一時間で約三十万円かかるので、個人や法人、自治体などの会員による運営を考えているという。
 昭和五十九年三月四日付『静岡新聞』には「空飛ぶ病院」の文字が見える。救急ヘリコプター設立には医療機関や監督官庁の運輸省も好意的であるといい、聖隷福祉事業団の両病院のほかに、田方郡伊豆長岡町の順天堂大病院、静岡市の済生会病院、浜松市の県西部浜松医療センター、浜松赤十字病院、また、長野・千葉・愛知・三重・岐阜の各県の十九病院が患者受け入れを承諾しているという。
 かくて日本救急医療ヘリコプター株式会社(社長・長谷川保聖隷福祉事業団最高顧問、資本金五千万円)が昭和五十九年四月二日に設立された。この利用料金は、市町村などが会員として加入すれば契約回数内での搬送は年会費のみ。例えば浜松から飛行時間約七十分の下田市の場合、同市が会員に加入し年五回、静岡市の病院に患者を搬送する契約を結ぶと、一年目が八十七万五千円(ほかに一年目だけ入会金十万円が必要)で、一年を通して無出動なら、二年目以降四年目まで各年ごとに一割引の年会費となる。また、患者本人の負担は無い。非会員の場合は飛行時間二十分間の基本料金は六万円で、五分超過ごとに一万二千五百円が追加される。聖隷三方原病院まで飛行時間十五分ほどの県西部なら、大半が基本料金で可能であろうと説明する。
 この時点での救急ヘリコプターの課題は医療過疎地の山間や離島の急病人・重症者、また未熟児を搬送したり、交通事故のけが人を搬送するところにある。
 ところが、救急ヘリコプターが導入された時点での緊急の問題点は「診療」以前に、いかに迅速に患者を大病院に搬送できるか、である。しかも会員の増加が不十分であることと、離発着のへリポートの確保、とりわけ市街地におけるそれが極めて困難であるということである。